東海道歩き13: 興津宿→江尻宿→府中宿

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興津宿の西寄りにある清見寺(せいけんじ)の門を入った途端、ここは好きだなあと感じました。こじんまりした敷地に並んだ建物のそれぞれが、何か格好いいのです。このお寺は、天武天皇の頃が起源で、足利尊氏も深く崇敬したそうですが、徳川家康が今川の人質となって駿府にいた幼少の頃には、ここの住職から教育を受けたとのことです。

境内の奥の方にあった五百羅漢はユーモラスな感じで、皆で何か楽しんでいるかのように見えました。

興津宿から江尻宿(清水)までは、そう距離もなく、じきに着きました。家康の命で巴川に架けられた写真の稚児橋の渡り初めの時に、川から河童の類の童子が突然現れて橋を駿府の方に歩き去ったとのことです。ここには、江戸初期に河川交通の要所に建てられた「船御高札」という掲示板があり、暴風の時には助け舟を出して難破させないようにとか、破損した船の荷物の引揚げを手伝った場合の褒賞が書かれていました。海船の浮き荷は1/20、沈んだ荷物は1/10、川船の場合はそれぞれ1/30、1/20がもらえたそうです。

江尻宿を抜けてまもなく、元禄8年創業の老舗、追分羊かんのお店がありました。羊かんは日持ちがするので、当時の道中食でもあったそうです。

そのすぐ先にあった供養塔は、子分の森の石松の恨みを晴らすために清水次郎長に討たれた吉兵衛という人を、弔う人が少ないことを哀れんだこの地の人が建てたとのことです。

そこから府中宿(静岡)までは、特に大きな見どころはない道を延々と歩いて、薄暗くなる頃に到着しました。今日のゴールとした新静岡駅の近くに、勝海舟からの書簡を携えた山岡鉄舟が、軍参謀の西郷隆盛と、江戸城の無血開城につながる下交渉を行ったとされる場所がありました。

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