東海道歩き28: 庄野宿→亀山宿→関宿

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出発地点が家からどんどん遠くなり、東名阪道で渋滞したので、歩き始めたのは早めの昼食後の11時半でした。前回のゴールのJR関西本線の加佐登駅からすぐの庄野宿は、東海道五十三次の宿の中で最後にできた小さな宿です。古い街並みが狭い道路の両側に残り、旧家の1つが資料館になっていました。
本当に小さくこじんまりした庄野宿ですが、あなどれません。ここにはナンバー1が3つもありました。1つ目は、最後にできた宿なので新しさナンバー1。2つ目は、資料館に旧東海道で最も古い高札(当時の庶民へのお触れ書きが書かれた板)が展示してありました。3つ目は、広重が描いた東海道五十三次の中で、ここ庄野の絵が最高傑作と言われていることです。幸い今日は、絵のようなひどい天気とは真反対のウォーキング日和でした。

もう1つ庄野宿には焼米俵という名物があり、当時の携行食でした。そのまま食べてもいいし、お湯を注いで食べてもいいし、軽くてかさばらず便利です。登山で使うアルファ米のようなもので、江戸時代にもそういうものがあったのが面白いです。

今日のルートは最初から最後まで、交通量の多い国道を歩くところがほとんど無くて、旧街道らしい道を歩けました。途中で通過した亀山宿も、古い建物が残っていて、昔はここにどのようなお店があったのか分かるように表札が掲げてあります。

亀山宿を抜けて、関宿に向かう途中に、これまでの旧東海道で数々の一里塚跡を見てきた中でも最高に格好良い一里塚がありました。樹齢400年の木の根っこの貫禄が素敵です。

今日のゴールの関宿に入りました。旧東海道歩きをした方のブログの1つで、関宿の古い街並みが一番印象的だったと書かれたのがあったので、それなりに楽しみにしていたのですが、ここは期待以上でした。何て素晴らしいんだろうみたいなことを話しながら歩いていたら、たまたまそれを耳にしたここに住んでいる方から「ありがとう」と言われてしまいました。

関宿は、銀行のATMまで素敵です。

今日の歩行は、18km、3万歩でした。

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