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目指せ、貧乏バックパッカー
ここ数年は、レンタカーを借りて巡ったり、1箇所滞在型の便利で楽な旅が多かったので、また学生時代みたいに列車やバスを乗り継いだり歩いたりして、安宿を探しながらの旅をしてみたくなりました。
そこで、今回のペルーへの旅では、娘(高2)・息子(中2)も一緒の家族旅行で、どれだけ「貧乏バックパッカー」の旅に近づけるかをテーマにしました。
貧乏バックパッカーにとって、マチュピチュは遠かったです。
旅程(2001年)
4/7: ニューヨーク1650→1938ヒューストン2230→
4/8: →0500リマ0930→1030クスコ(標高3400m)→ウルバンバ→オリャンタイタンボ(標高2800m)
4/9: オリャンタイタンボからマチュピチュ(標高2400m)往復
4/10: オリャンタイタンボ→クスコ
4/11: クスコ→ララヤ峠(標高4335m)→プーノ(標高3827m)
4/12: プーノ→ウロス島→タキーレ島
4/13: タキーレ島→プーノ
4/14: プーノ:シユスタニ遺跡→アレキパ→リマ
4/15: リマ市街観光
4/16: リマ0815→1700ニューヨーク
(当時は海外赴任中でニューヨーク郊外に住んでいたため、ニューヨークからのペルー往復です。)
旅の総括
高山病と治安の心配があったのが、今までの旅と一番違うことだったかもしれません。それを乗り越えてうまく旅が出来たことで、とっても達成感がありました。
出発前に、ペルーで高山病にかかった人の体験談をたくさん探して読みましたが、その中では、死んだり後遺症が残った人はいなくて、最悪でも飛行機でリマへ緊急移送して入院だったので、それに備えてそういうのがカバーされる旅行保険には入っておきました。
手足が時々しびれる副作用はありましたが、高山病の予防薬も皆きちんと飲むようにしました。
富士山より高いプーノで1晩過ごした後でも、4人とも高山病の症状がなかったので、空気が薄いところで階段を600段も登らなくてはならないタキーレ島行きも決行しました。
この旅を通して、次のようなことを思いました。
- いいホテルやいい食事を求めてお金をかければそれだけいい旅行になるわけではないということを確信しました。
- 貧乏は気楽ということ。治安に不安がある所を旅行中に、取られて困るような物をあまり持ってなければ、それだけ気を使わずにすみます。今回ビデオや大きなカメラを持って行かず、ポケットに入るデジカメ1つだけだったのは、大正解でした。
- 自分は、ハラハラするような事の後にうまく行った時の安堵感と達成感を旅の中に求めてるんだなと思いました。
- いつか行ってみたいシルクロードやチベットが一歩近づいたかも。
結果的に、このペルー旅行は、それまでの我が家の家族旅行の中で最もハードなものでした。皆が順番に体調を崩し、娘は帰宅後に救急の病院に行くほどの体調でした。旅行から17年近く経って、娘に改めてその時のことを聞くと、「旅行中は体温計がなかったので計らなかったけれど、人生で一番の高熱が出てた。ホテルで朝起きて、まっすぐ歩けないくらいフラフラしてたのを覚えている。人間は高熱が出ると動けなくなるってことを初めて知った。それでも行って良かったと思える本当に良い旅行だった。」とのことでした。