ペルー旅行09: ドキドキの入国審査、娘は病院へ

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リマ→ニューヨーク直行便で帰国

これまでの家族旅行で最もハードだったペルー旅行の最後の日を迎えました。後は、(当時、海外赴任中で住んでいた)ニューヨーク郊外の自宅に帰るだけです。しかし、娘が昨日から体調を崩しているため、まだまだ試練は続きます。

朝4時に起きて、朝食をたっぷりいただきました。5時にホテルの人がタクシーを停めてくれて、運転手と料金を12ソルと交渉もしてくれて、空港へ向かいました。

チェックインも行列なしで問題なく、席が2人ずつで分かれたけど、窓側も2つ取れました。娘が熱があることを伝えて、他の乗客より先に飛行機に乗せてもらいました。

定刻少し前に出発。帰りはニューヨークまでの直行便で7時間半くらいです。娘は昨日の午後から熱に加えてお腹もこわしていて、飛行機の中でも本当に辛そうでした。

ニューヨークの空港で、あらかじめ娘のために車椅子を用意してもらい、飛行機を降りたところからずっとエスコートの人が付きました。お腹をこわしているので検疫で何か問題があるかなと少し心配でしたが大丈夫でした。

ハラハラ、ドキドキの入国管理

さて問題の入国管理です。実は、2週間後の4月30日でアメリカ入国ビザの有効期限が切れます。会社から延長の申請はしてあるのですが、ペルーに出発するまでにはまだ結果が出ていませんでした。有効期限がすぐなので、何か問題があった時には会社の法務の担当者にも電話連絡が付くように番号を控えたり、会社からビザの延長申請をしていることの証拠に、社内メールをプリントしたものを用意していました。

何も言わずにただパスポートとビザを手渡して、何か言われるのを待っていましたが、係官は、ビザの番号をコンピュータに通したら、たぶんシステム上は、既にビザの延長が認められたデータが入っていたのか、黙って2004年4月15日までの滞在許可のスタンプを押してくれました。ホッ。(でも、後日、会社からビザの延長が認められた旨の書類が届き、それを見るとビザは2003年4月までになっています。どうも、入国係官が勘違いして1年余計に許可しちゃったみたいでした。)

もう1つ、入国にあたって心配がありました。何と、ペルーに出発する2日前になって、アメリカ以外のパスポートの持ち主がペルーからアメリカに入国する場合は、黄熱病の予防接種のイエローカードが必要だという情報が入ったのです。驚いて、急遽調べたら、アメリカパスポートかどうかに関わらず、ペルーの中の黄熱病にかかる恐れがある地区に行った人は、イエローカードが必要だとのことです。その地区には、クスコやティティカカ湖も含まれていましたが、リマやナスカは地区外でした。イエローカードはほとんどチェックされないという情報もあったので、出発前日に予防接種に行く暇もないので、いざとなったら、ペルーはずっとリマに居ましたということにすれば、大丈夫だろうと思って、イエローカードは手に入れないまま出発したのでした。

口蹄病の心配からか、「農場に行ったか?」とは聞かれましたが、ノーと答えた後は、幸い、イエローカードの提示を求められたり、ペルーのどこに行ったか聞かれたりすることなく、入国手続きは終わりました。これで、後は家に帰るだけです。

娘を急患を受け付ける病院へ

空港の長期旅行者用駐車場に車を置いてきたので、そこまでのバス乗り場までエスコートの人は連れて行ってくれました。バスもすぐに来て、車も問題なく空港を出発。娘がずっと大変で、途中で3度くらい休みました。

家に帰って来て、しばらく休んでからも娘の様子が心配なので、係り付けの日本人の医者に電話するけど、もう時間外なのでつかまりません。旅行保険の会社に電話したけど、マンハッタンとか遠い医者の電話番号を教えてくれるだけです。近所に24時間急患を受け付ける大きな病院があるので、結局、そこに娘を連れて行きました。

下痢で脱水症状だったので点滴を2本打って、いろいろ検査した結果、ヴィールス性のものではなく、心配いらないとのことでした。翌日は休んで、調子が良くなれば翌々日は学校にいってもいいとのこと。ようやく安心して午前1時頃病院を出て家に戻ってきました。

娘は結局学校を1日休んだだけで復帰できて、すっかり元気になりましたが、最後の最後までハードで試練たっぷりだったペルー旅行は、とても思い出に残るものとなりました。

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