東海道歩き32: 草津宿→大津宿

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今日は15時頃から雨の予報なので、8時前にはスタートして、昨晩暗くなって到着した草津宿の街道をもう一度ていねいに見て歩きました。江戸時代に建てられた道標に「右 東海道いせみち」と書かれた方向から昨日は歩いて来ました。「左 中仙道美のぢ」と書かれた方向、道標の奥の少し小高くなっているところが、旧草津川の天井川で、今はその下にトンネルがありますが、当時は、このすぐ先に渡しがあったようです。滋賀県はあちこちに天井川があって地形が面白いです。

何と「天井川」という清酒までありました。天井川は草津の自慢と書いてあります。

草津宿を出て矢倉立場という所まで来ると、広重が描いた草津名物の「姥ヶ餅」のお店の絵にも描かれている道標が立っていました。「右 やばせ道」を進むと、矢橋湊から対岸の大津に舟で渡れる近道がありました。まっすぐ進むと瀬田川の橋を渡って大津へV字を描くように歩くことになります。ここは「急がば廻れ」の語源ともなった所で、「瀬田に廻ろか矢橋に下ろかここが思案の乳母が餅」と詠まれたそうです。

我が家は「急がば廻れ」の通りに瀬田の唐橋にやって来ました。琵琶湖から流れ出す瀬田川に架かる橋で、とうとうここまで来たなあと気分が盛り上がります。

少し陸側に入った所を通る旧東海道に忠実に歩かずに、やはりここは景色の良い水辺を歩くことにしました。旧東海道の松並木が、晴れた風の強い日に嵐のように枝葉がざわめく様から「近江八景・粟津の晴嵐」と言われていたそうですが、今はその松並木が水辺に再現されています。

琵琶湖畔の膳所城跡に、石地蔵が祀られていました。信長が比叡山を焼き払った後、石地蔵を引きずり降ろして明智光秀に建てさせた坂本城の礎石にしたものが、その後、秀吉が浅野長政に建てさせた大津城の礎石になり、さらに関ヶ原の合戦の翌年、家康が藤堂高虎に建てさせた膳所城の礎石となったものとのことです。何と激動の時代を経て来た地蔵様でしょう。

明日はいよいよ旧東海道のゴールの三条大橋まで歩きます。
今日の歩行は、19km、2万8千歩でした。

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