東海道歩き06: 大磯宿→小田原宿

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先週末は土日とも用事があって歩けなかったので、2週間ぶりの旧東海道歩きですが、週末が待ち遠しい感じでした。今日は大磯宿から出発です。大磯の小田原寄りに、さっそく素敵な所がありました。西行の歌「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」を偲んで江戸初期に建てられた「鴫立庵(しぎたつあん)」です。俳諧三大道場の一つらしいですが、木陰の茅葺屋根と小川が涼しげで、とても良い雰囲気でした。

近くには「湘南発祥の地」の碑がありました。湘南と言うと、私は茅ヶ崎辺りのイメージがあるのですが、鴫立庵を建てた崇雪という人が、大磯が中国の湘南(湖南省南部地域の地名)に似ていると景勝を讃えたことから、湘南と呼ばれるようになったそうです。

日本橋から旧東海道を歩いてきて、二宮と国府津の中間辺りで初めて、ぱーっと開けた海を見ることができました。伊豆半島が海に突き出しているのがよく分かり、だからこそ、この先で箱根の山越えが待っている訳です。保土ヶ谷宿を過ぎた所でもそうでしたが、三浦半島があるから、その付け根あたりで東海道は初めての坂越えをしました。歩くことで、そういうことが意識され、納得できて、面白いです。

酒匂川を渡る橋からは、段々近づいてきた箱根の山々が一望に見渡せました。水もきれいで、アオサギやコサギもいました。

今日の目的地、小田原宿に入りました。京都に向かう場合、箱根の山越えの前にここに泊まる人が多かったので、小田原は特に大きな宿場でしたが、その中でも最大の本陣があった場所には、明治天皇もここに泊まられたという碑が建っていました。

小田原の街中にちょっと目を引くお城(天守閣)っぽい家がありました。北条早雲に招かれた京都外郎(ういろう)家の子孫の住まいとして戦国時代に建てられた建物があった所で、「ういろう」と呼ばれていますが、今はお菓子を売ったりそこで食べたりできるようになっていました。

今日のゴールは、小田原宿の京都側の端(上方見附)の近くの箱根板橋駅にしました。次は、いよいよ箱根の山越えです。

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