東海道歩き20: 舞阪宿→新居宿→白須賀宿→二川宿

この記事は約4分でお読みいただけます。

旧東海道歩きも最近は自宅から遠く離れた所に出かけて歩くようになったので、5時に起きて、東名高速で出発点に向かい、車を駅の近くに停めてから出発します。今朝は、前回のゴールだった舞阪駅を9時半に出発しました。
さっそく立派な松並木の道です。これまでも何度か旧東海道の松並木が残っている所を歩きましたが、松が植えられている密度が高くて、ここが一番立派に感じました。並木に沿って、53次の宿の名前と絵が書かれた小さな碑が並んでいたので、日本橋から舞阪までのこれまで歩いてきた宿を既に懐かしい感じで振り返り、これから京都までにある宿の名前を見ながら楽しみな気分になれました。

舞阪宿の脇本陣の建物が公開されていたので、中を見学しました。うなぎの寝床のように奥に長い建物になっていて、それを見通すように撮ったのが次の写真ですが、途中に中庭があって、なかなか洒落た感じです。

浜名湖が海とつながる所(今切口)に当時は橋がなく、船で渡る必要がありました。舞阪宿はその渡しの江戸側の宿で、船を着ける所は写真のようにスロープになっています。今はその奥に見える国道1号線の橋や、これから歩く弁天島経由の橋で、簡単に渡れます。弁天島では、狭い所に国道の車道橋と歩道橋、JRの在来線と新幹線の4つの橋が並んで架かっていて、行き交う新幹線の音を何度も耳にしましたが、船で渡った当時と比べると何と忙しいことでしょう。

浜名湖を渡った京都側の新居(あらい)宿には、箱根の関所と同様に「入り鉄砲と出女」に目を光らす関所がありました。今の建物は、安政の東海大地震後に再建されたもので、近世の関所の建物としては現存する唯一のものとのことです。併設の史料館もあり、すぐ近くに旅籠「紀伊国屋」の建物も公開されていて、なかなか楽しめるところでした。

新居宿を出て、次の白須賀宿に向かって歩いていると、ずっと平坦だった道が急にぐんぐん登り出す「潮見坂」がありました。ここは、京都から逆方向に旧東海道を歩いてきた場合、初めて太平洋の大海原を望める景勝地だったそうで、広重の絵にも描かれています。急坂を登り切ると、白須賀宿に向けてしばらく台地のような所を歩きましたが、そこにあった「おんやど白須賀」という休憩施設の方に伺うと、12〜1月の空気の澄んだ日には、この辺りから富士山を望めるそうです。

白須賀宿を出て、遠江国と三河国の国境のその名も「境川」を渡り、長かった静岡県から愛知県に入りました。もうすぐ日が暮れますが、次の二川宿までの道は、鉄道もバスもないので、歩くしかありません。バス停はあるにはあるのですが、平日に何と1日1本だけ、週末は運行なしとのことです。
先ほどの休憩施設の方に、旧東海道で富士山が見える最西端がどこか尋ねると、白須賀宿から二川宿までの道の途中とのことでした。今日は東の方はラピュタが隠れていそうな雲が広がっていて富士山は見えませんでしたが、これはこれで印象的な風景でした。

すっかり日が暮れて二川宿に着きましたが、暗すぎて写真は撮れませんでした。さらに1km歩いて二川駅に18時頃到着。これまでで最高の24km、3万1千歩歩いていました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Translate »