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サマルカンド行きオンボロ車?
成田を21時に出発し、関空経由のウズベキスタン航空直行便で、11時間かかって首都タシケントに早朝4時に到着しました。
ゴールデンウィークの旅行先を探した中で、比較的航空券が安く、1週間で行きたい所は全て観て回れそうだったのが、中央アジアのウズベキスタンだったのです。
ちなみに、ウズベキスタン国内線を無料で追加可能な成田⇔タシケント往復航空券が、諸費用込みで11万円でした。
ウズベキスタン第一の目的地は、「青の都」と呼ばれ、世界遺産でもあるサマルカンドです。
タシケントから約300km離れたサマルカンドへは、飛行機、鉄道、バスの便もありますが、物価の安い国だし、今回は妻・娘と3人での旅行なので、貸切タクシーで行くことにしました。
サマルカンドまで$30で行ってくれるドライバーをタシケント空港で見つけたのですが、彼に付いて駐車場まで行くと、かなりオンボロな車です。これで長距離ドライブは大丈夫かなと心配しつつ乗り込みました。
出発して20分ほどでドライバー(写真↑右の人)は車を停めて、辺りの他の車のドライバー(写真↑左の人)と何やら話をしてお金のやり取りをしています。
そのドライバーを連れてきて、「この兄弟がサマルカンドまで行くので、彼の車に乗り換えてくれ」とのこと。
今度は長距離ドライブも大丈夫そうな車で一安心。
出発して気づいたのですが、車を乗り換えたのは地下鉄サビール・ラヒモフ駅の近くで、ここからサマルカンド行きのバスや乗合タクシーが頻発していると『地球の歩き方』に書かれている場所でした。
レギスタン広場に着き、安宿にチェックイン
4時間ほどのドライブの後、今回の旅行で一番見たかったサマルカンドのレギスタン広場に10時頃に到着しました。
広場を囲む3つのメドレセ(イスラム神学校)は、いつかこの目で見てみたいと思っていた景色です。
まずは、荷物から解放されたいので、外壁の青いタイル模様を間近に眺めながら、右側のメドレセの裏手の方にある今晩の宿に向かうことにします。
サマルカンドがシルクロードの要衝として栄えたことを彷彿とさせるラクダの隊商の像がありました。
レギスタン広場は、裏手から眺めても壮観です。
数百メートル歩いて宿に着きました。『地球の歩き方』に載っているサマルカンドの宿の中で一番安いB&B Bahodirで、日本人観光客のたまり場になっているので、旅ノートもあって情報収集にはもってこいです。
チェックイン後にティーとお菓子が出てきて一息つきました。
宿代は、ツイン2部屋を3人で利用して夕食・朝食付きで全部で$30です。
まばゆく輝くティラカリ・メドレセ
レギスタン広場に戻って、最初に正面にある1660年に建てられたティラカリ・メドレセを見ることにしました。
ティラカリとは「金箔された」という意味で、文字通り、中の装飾はきらきらと輝いていました。
ここの礼拝所の修復には金が3kgも使われたそうです。
こっそりミナレットに登れたウルグベク・メドレセ
次に広場の左手にある1420年に建てられたウルグベク・メドレセを見ました。広場の3つのメドレセの中で一番古いものです。
当時、学生が寄宿していた部屋が、中庭に面してずらりと並んでいます。
現在は、1階の部屋の多くは、観光客向けの土産物店などになっていました。
メドレセ正面の両側にはミナレットが建っていますが、その右側の塔に登らないかと、警備員にこっそり声をかけられました。
3人で4千スム(約400円)の“袖の下”を渡して、螺旋階段を登りミナレットの上に出ると、地平線まで見渡せる景色が広がっていました。
褒められることではありませんが、ここの警備員が賄賂を取って塔に登らせてくれることは、観光客によく知られているようです。
タブー破りのシェルドル・メドレセ
目の前の1636年に建てられたシェルドル・メドレセ(広場の正面から見て右側のメドレセ)には、偶像崇拝を否定するイスラムではタブーなはずの人や動物の姿が描かれています。
塔の上からそれが良く見えました。
当時の支配者が、自分の権力を誇示しようとして、あえて禁を破ったそうですが、その代償に建築家が責任を取って自殺したという伝説もあるそうです。(出典:『地球の歩き方 シルクロードと中央アジアの国々』)