ウズベキスタン2: サマルカンド・ブルーのモスクと廟

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バザールで庶民的ランチ

早朝に機内食を食べただけで、昼過ぎまでレギスタン広場を観てお腹も空いたので、シャブ・バザールというサマルカンドの大きな市場へ歩いて行き、適当なお店に入りました。

中央アジア名物のマントゥ(羊肉の蒸し餃子)、サマルカンド名物のナン、スープの庶民的なランチで1人100円くらいでした。

食後にバザールを一通り見てまわりましたが、ドライフルーツ、ナッツ、スパイスなどに目が引かれます。

結局ここでは、おやつ用のサクランボとイチゴ、持ち帰り用のサフランを買いました。

巨大なビビハニム・モスク

次に、バザールの手前に建つビビハニム・モスクという中央アジア最大のモスクを観ました。

サマルカンドを都として築いたティムールが、その第1夫人(ビビハニムとは、第1夫人という意味)のために建てたモスクです。

巨大なアーチをくぐって中に入ると、広大な中庭の真ん中に、これまた巨大なコーラン書見台がありました。

ここには、広げると幅1mほどもある羊皮紙でできた世界最古(7世紀)のコーランであるオスマン・クラーン(現在はタシケントのハシュト・イマーム・モスクにあります)が、置かれていたそうです。

中庭の左右に建つ小モスクの青いドームが、とても美しくて印象的です。

中庭正面奥の大モスクの中は修復中でした。

ティムールが建設をせかし過ぎたためか、そもそも大き過ぎたのか、落成後まもなく礼拝中の信者の上にレンガが落ちてきて、その後も崩壊が進み廃墟になったそうです。

格子越しに荒れた内部を眺めながら、そのような伝説に思いを馳せました。

色鮮やかな“死者の通り”シャーヒズィンダ廟群

次に、霊廟が建ち並ぶシャーヒズィンダ廟群を歩きました。

1つ1つの廟が個性的で、お墓のイメージとはほど遠い明るさと美しさで、なかなか楽しめる場所です。

その一つ、クサム・イブン・アッパース廟は、モンゴル来襲時にも破壊されなかったサマルカンド最古の建造物で、タイル張りのドームの天井が素晴らしかったです。

アフラシャブの丘の墓地とモスク

シャーヒズィンダ廟群があるアフラシャブの丘は、モンゴルに破壊される前のサマルカンドの街があった所で、廟群の西側には墓地が広がっていました。

墓石には、葬られている人の顔が、写真のようにくっきりと彫り込まれています。

墓地の西側に建つハズラティ・ヒズル・モスクは、ひっそりしたお墓とは対照的に、木造のテラスが賑やかに彩色されていました。

このテラスからしばし景色を眺め、モスクのカーペットの上に座って一休みしました。

学者ウルグベクの天文台跡

盛りだくさんだったウズベキスタン初日の観光の最後に、バスでウルグベク天文台跡を見に行きました。

ウルグベクは、ティムール朝第4代の君主ですが、天文学者・数学者・文人でもあり、統治者よりも学者としての業績が高く評価されました。(写真は彼の像)

しかし、彼が建てた天文台は、死後すぐに保守的なイスラム指導者によって破壊されてしまいます。

巨大な六分儀の地下部分が、かろうじて残っていました。

サマルカンドの夜

宿の夕食は、プロフ(肉とニンジンが入った中央アジア風ピラフ)と野菜とパンというシンプルなものでしたが、これが$1なので、コスパは良いです。

同宿の日本人客と情報交換しながらいただきました。

最後にレギスタン広場のイルミネーションを見て、長い1日を終えました。

ティムールが眠るグリ・アミール廟

翌朝、ティムールとその一族が眠るグリ・アミール廟を観に行きました。

壁や天井には、金がふんだんに使われています。

きらびやかな装飾とは対照的に、中央に配置された黒いティムールの墓石はシンプル過ぎるように見えました。

最後に、この青の都を築いたティムールの像にあいさつして、サマルカンド観光を終えました。

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