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湖を自転車で一周する
朝食ビュフェは、昨夜の夕食とは違う部屋で、ここも壁一面に小ぶりの鹿の頭骨が飾ってありました。
午前中は、ヨットに乗ろうと思っていたのですが、湖は凪で鏡のようです。残念。
仕方ないので、代わりに湖を自転車で一周してみることにしました。
一部は自転車専用道になっている湖畔の道を走り、ヨットハーバー、桟橋、公園、湖の中の噴水などを見ました。
アウシュビッツを見て、今の政治を考える
素晴らしかったホテルをチェックアウトして、13時からの英語ツアーを日本から予約しておいたアウシュビッツに向かいました。
世界遺産にも登録されていて、その正式名は「アウシュヴィッツ・ビルケナウ – ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所」です。
駐車場横のレストランでポーランド料理のランチを済ませて、空港並みの荷物検査を通り、ガイド用のヘッドセットをもらって、ツアーの始まりです。
女性のガイドで分かりやすい英語で話してくれて、他のグループを何度も追い抜きながら歩いてまわるペースもちょうど良かったです。
アウシュビッツで遺品の展示物、建物、当時の生活空間、処刑場、ガス室と火葬場(下の写真)を一通り見ました。
トイレ休憩の後、シャトルバスでビルケナウへ移動しました。
線路がメインゲートの建物をくぐった先に、数えきれないくらいのバラックが建っていた跡が広大な平坦な土地に広がっていました。
線路の先には、ガス室と火葬場が隠されていた森があります。
バラックのほとんどは倒壊の危険があって入れないけど、補強して中を見られた所には、3段になった寝棚がありました。
寝だなの狭い1つ1つに7人が詰め込まれ、見せかけだけの暖炉と煙突に火はなく、極寒の中、飢えて下痢が続き、死ぬのを待つだけだった悲惨な生活空間です。
ガイドの説明と合わせて、私にはここが一番印象に残りました。
アウシュビッツ・ビルケナウの3時間のツアー中、ずっと考えていたことは、1人1人を見れば多くが善良な市民であったであろう国民が、国の指導者と統治のシステムが悪い方向にどんどん動いていったことによって、このような凄惨な結末を引き起こしてしまったということです。
今の日本のひどすぎる政治を見ていると、それが決して人ごとではなく、現実味のあることとして感じられました。
悲劇に突き進んだ史実から目をそらさずに、その歴史から学び、そのようなことを繰り返さないことは、私たちの責任です。
国の指導者や統治のシステムが悪い方向に進まないように、1人1人が目を光らせ、声をあげ、行動することの大切さを思いました。
旅行最後の宿は、クラクフ郊外で民泊
今回の旅行の最後の宿は、クラクフ郊外の1軒家の1階をまるまる借りきる民泊です。中に入ると、なんと広いこと。広大なリビングは使い途が無いくらいです。
近くの大型スーパーで、お土産にするものも含めてゆっくり買い物をしました。ちょうどサッカーのW杯をやっている時期だったせいか、野菜売り場の一角に楽しいデコレーションがありました。
宿に戻って、バケツがあったので、汚れていたレンタカーを手洗いできれいにしておきました。
夕食を作るのもこれが最後です。