崩れゆく軍艦島に上陸

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2019年10月に長崎の軍艦島に上陸するツアーを予約していたのですが、その1ヶ月前に台風の被害で上陸禁止となったため、その時は代わりに池島の炭鉱を探検しました。

その後も軍艦島上陸ツアーは再開、禁止を繰り返していますが、現在は天候が許せば上陸できるので、帰省中に福岡から日帰りで参加しました。

軍艦島の予習

軍艦島コンシェルジュの午前のツアーを前々日に予約し、9時の受付開始時刻に合わせて軍艦島デジタルミュージアムに行き、乗船前に軍艦島について予習しました。

良質の石炭を掘り出すために開発された軍艦島の正式名称は端島(はしま)で、ツアー船で長崎港から40〜50分のところにあります。

埋め立てて広げられた南北480メートル、東西160メートルの島に、最盛期は5千人以上が住んでいました。

アパートの6畳一間に1家族が住んでいましたが、炭坑の危険な仕事で報酬は良く、家賃や光熱費も微々たる額だったので、当時はとても高価だった家電製品も行き渡っていたそうです。

長崎港を出航

港まで数分歩いて10時半出航のツアー船に乗船しました。

港内を進む間は前部デッキに出ることができたので、三菱重工業長崎造船所の前を通り過ぎる時に、そこに係留されていたイージス護衛艦を見ました。

でも、後で調べると、船首に176と書かれたこの艦「ちょうかい」は、同型のイージス艦は全てこの造船所製なのに、この艦だけ石川島播磨製だそうです。

造船所を過ぎると女神大橋をくぐります。2つの主塔の間は480m、主塔の高さは170m、つまり480m x 160mの軍艦島とほぼ同じ大きさであるとの説明がツアーガイドからありました。おもしろい!

橋を過ぎると左舷側に、国内最大級の100万トンドックがある長崎造船所香焼工場が見えました。(写真は帰りに撮ったものです。)

一昨年、造船が不振の三菱重工業から大島造船所に売却されたので、巨大クレーンに描かれていたテニスコートサイズの三菱マークは塗りつぶされていました。

女神大橋を過ぎると、船室内に入って着席し、船はスピードを上げて軍艦島をめざしました。

まだこの時点では軍艦島に上陸できるかどうかは未定で、風速5mまたは波高0.5mを超えるか、視界が500m以下だと上陸禁止になります。

前々日に天気予報とwindy.comでの風予測をチェックした上で穏やかそうな今日を選んだのですが、港内から外海に出てそれなりに波はあるので、波高0.5mの条件をクリアできるかどうかドキドキです。

軍艦島を周回

島が細く見える北側から軍艦島にアプローチして、今度は船尾側のデッキが開放されました。

左側の建物は7階建ての端島小中学校、中央の建物は10階建ての鉱員住宅で、なんとエレベーターの無い10階に保育園があったそうです。毎日の送り迎えで足腰が鍛えられそう。

船は島の西側に沿って進みます。もう島の建物の半分しか残っていないそうで、崩壊した跡が痛々しいです。

島の南西側まで来ました。この辺りから眺めると、本当に軍艦の姿に似ていて、軍艦島と呼ばれるようになったのも納得できます。

船はここでUターンして、島の北側に一度戻ってから、東側へ回り込んで行きました。

先ほどの小中学校と鉱員住宅の右側は、4階建ての端島病院(写真↓右端)です。端島病院と鉱員住宅の間に少しだけ見えているX型の階段は、軍艦島でロケした実写映画『進撃の巨人』に出てくるそうです。

船のスタッフが、もやい綱を左舷から右舷に付け替えていたので、今日は無事に上陸できるようです。良かった!

軍艦島に上陸

いよいよ世界遺産の軍艦島に上陸です。

船が着いたドルフィン桟橋は、1隻分のスペースしかないので、別のツアー会社の船が離れるのを少し待ってから接岸しました。

昔の石炭運搬船用の船着場は崩壊して、今はかろうじて桟橋台の跡が2つ残っているだけでした。

上陸してすぐの第1見学広場から小中学校の方を望むと、高層の建物がほとんど隙間なく建ち並ぶほど土地が貴重な軍艦島にしてはちょっと広々したスペースがあり、ここが貯炭場でした。

ここに精炭(精選された石炭)を運んだベルトコンベアーは、支柱だけが残っていました。

世界遺産の驚きの理由

次の第2見学広場からは、いろいろな色や形の建造物が眺められました。

赤煉瓦の建物は、第3竪坑捲座跡と言うそうで、その役割は知りませんが、島で一番美しく目立っていた建物であることは確かです。

右側の建物は、深さが約600mもある竪坑への入り口で、竪坑の底からさらに坑道を延ばし、採炭作業は海面下1,000m以上にまで及んだそうです。

島の一番高い所に建てられた社宅は、会社のお偉いさん用の住居で、波飛沫もかかりにくいし、この狭い島で3LDKもの広さがあったようです。

しかし、一番の驚きは、この島が世界遺産に登録されたのは、これまでに見てきた炭鉱や建物の廃墟ではなく、護岸内側の石積みがその理由であるということでした。

まだセメントが普及する前に、石灰と赤土を混ぜた天川(あまかわ)と呼ばれる接着剤を用いて頑丈な石積みを築いたことが評価されたようです。

崩れるだけの廃墟

最後の第3見学広場に向かう途中、島の南端にポツンと残った建物が印象的で、東日本大地震の1年後に南三陸町志津川地区で1軒の骨組みだけ残った建物を見た(→当時のブログ記事)のを思い出しました。

ツアーの締めくくりに、日本最古の鉄筋コンクリート造りのアパートである7階建ての30号棟を見ました。

もういつ崩壊しても不思議ではなく保存することも困難だそうです。

南三陸で見た廃墟は、その後の懸命な努力で復興していきましたが、この島の廃墟はさらに崩れて行く一方なので、まだ半分は建物が残っている間に軍艦島に上陸できて良かったです。

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