この記事は約3分でお読みいただけます。
蓼科からの帰りは、霧ヶ峰から上諏訪に降りるいつもの道ではなく、和田峠経由で下諏訪に降りることにしました。
和田峠から旧中山道沿いに下諏訪へ
ビーナスラインで和田峠まで行き、下諏訪への国道142号に入ると、峠のトンネルは幅が狭いために信号機による片側交互通行になっていました。
峠からの下り道は、狭くて曲がりくねった急坂で、旧中山道に沿った道でもあるので、昔の人がここを徒歩で越えた時の苦労が偲ばれます。
ユーモラスな石仏の春宮
下諏訪ではまず諏訪大社下社春宮を訪れました。
静かで清浄な神社境内を一巡りしました。左右に1本ずつ立っている御柱が印象的です。
散策コースの案内図に従って周りを歩くことにしました。
境内の左裏手の川沿いの橋を渡って歩いて行き、最後は突然現れた万治の石仏は、どことなくユーモラスです。大鳥居の材料にしようと石材にノミを入れたら血が流れ出したことから建立されたとのことです。
屋根付きの下馬橋は、橋としての役割は終えてしまってましたが、諏訪大社下社最古の木造建造物だそうです。
女神不在の秋宮
次に車で数分移動して、諏訪大社下社秋宮を参拝しました。
神楽殿のしめ縄は、出雲大社型では日本一長い13mとのこと。
秋宮の境内も一通り見ましたが、何となく春宮の方がより印象的でした。
諏訪神社下社の祭神(女神)は、2〜7月は春宮、8〜1月は秋宮に鎮座しているそうなので、今は春宮におられるからでしょうか・・・。
中山道と甲州街道が交わる下諏訪宿
秋宮のすぐ近くに、甲州街道(甲州道中)が中山道に突き当たる場所がありました。
その辺りに旧中山道の下諏訪宿の面影を残す街並みがありました。
そこの古民家の一つが宿場街道資料館になっていたので、中を見学しました。
中山道の縦断面図を見ると、先ほど車で越えてきた和田峠が中山道で一番の難所だったこと、その峠の京側のふもとで温泉も出る下諏訪宿がさぞありがたかったであろうことが、よく分かりました。
信州のたくさんの峠を越える苦労はあっても、東海道に比べると、大井川の川止めや大地震による津波の心配がなく宿代も2割ほど安かった中山道は人気があったそうで、皇女和宮の降嫁も東海道ではなく中山道を通って行われました。
旧中山道を歩いてみるのもおもしろそうです。