琵琶湖4: びわ湖疏水船に乗って明治の偉業に触れる

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大津閘門でびわ湖疏水船に乗船

今日は、びわ湖疏水船に乗って、琵琶湖の大津から京都の蹴上までクルーズします。今回の琵琶湖旅行の最大の目的であり、3ヶ月前に予約した時から楽しみにしていましたが、幸い絶好の天気となりました。

大津閘門(写真↓左)そばの乗船場で一緒に乗る大阪在住の友人Kさんと合流し、待合室(写真↓右奥)で琵琶湖疏水建設の歴史と立役者(北垣国堂知事、田邉朔郎技師)の説明ビデオを見ました。

琵琶湖に通じる水路(写真↓奥)と水位が異なる琵琶湖疏水の間で船を通す仕組みが大津閘門で、洋風の本格的なものです。

これから乗るびわ湖疏水船は、大津閘門の反対側から始まる琵琶湖疏水に浮かんでいましたが、人が少し速めに歩くくらいの結構な水流があるのには驚きました。

船は、6人ずつが左右に分かれて背中合わせに座るようになっています。予約順に前から(連れは隣同士で)座るように案内されたので、写真撮影がしやすい一番前の席になってラッキーでした。

これから4つのトンネルを通り抜けて下流の京都の蹴上まで55分間のクルーズが始まります。おもしろいことに、流れに逆らう逆方向のクルーズは、船を安定させるためにスピードを上げる必要があり、所要時間は35分間とむしろ短くなるそうです。

最長の第一トンネル

9:15に出航し、すぐに一番長い第一トンネルに入りました。まっすぐなトンネルなので、2.4km以上先にある出口が点となって見えていますが、そこまで20分以上かかります。

右側にある2本のロープ状の物は、上は電線ですが、下は動力のない船を流れに逆らって人力で引っ張って進めるために使われていたロープだそうです。

どこまで進んだか分かるように100m毎に壁に入り口からの距離が書かれていましたが、トンネルのちょうど真ん中には「中央」と書かれたプレートが埋め込まれていました。

トンネル後半に2つの竪坑があり、第一竪坑からは水が滝のように落ちてきていました。船には透明の屋根があるので、この下を濡れることなく通り抜けるのはおもしろかったです。

長い長い第一トンネルがようやく終わり、水路沿いの新緑が目に染みました。

山科乗下船場へ

しばらくは緑豊かでひっそりと静かな水路を進みました。

大地震で堤防が決壊してしまった時に水流を自動停止するための緊急遮断ゲートをくぐり抜けました。

琵琶湖疏水に最初に架けられた藤尾橋の橋台は、当時から残るレンガと石造りです。

少し水路が広がった四ノ宮船溜にある山科乗下船場は通過しました。

昭和の諸刃トンネル

そのすぐ先にある諸刃トンネルは、鉄道を通すために一部埋め立てる必要があった水路をバイパスするために昭和になって作られました。

他のトンネルよりも幅が少し広かったです。

トンネルを抜けてすぐ水路が右に急カーブしているのは、元の水路がトンネル出口付近で左から右へと流れていたためです。

第二・第三トンネルを抜けて蹴上へ

水路が少し広くなりましたが、川底に描かれた白線の左側は浅くなっているため、船は水路の右側を進む必要があります。

この辺りは左岸沿いに遊歩道があるので、散歩している人とよく手を振り合いました。

人だけでなく、アオサギも船を見送ってくれました。

3番目のトンネルですが、最初に琵琶湖疏水が明治時代に造られた時には2番目だった、一番短い第二トンネルに入ります。

そしてすぐに第三トンネルが続きますが、その手前にある橋は、日本で最初の鉄筋コンクリート橋だそうです。ちょっと分かりにくいですが、金属の欄干部分ではなく、ゆるくアーチ状になった橋床部分がそれです。

山科から蹴上に抜ける最後の第三トンネルは、全長850mです。

トンネルを抜けるとクルーズの終点がもう見えています。

格好いい煉瓦造りの旧御所水道ポンプ室の建物の横が、蹴上乗下船場でした。

下船後にガイドのお兄さんとしばらく話をしたところ、大津閘門を通り抜けて琵琶湖と琵琶湖疏水を結ぶクルーズを提案しているそうで、もしそれが実現すればとても魅力的なクルーズになりそうです。

蹴上インクライン

船で通ってきた琵琶湖第1疏水の北側には全線トンネルの琵琶湖第2疏水があり、ここで合流するのですが、すぐにまた2つに分かれて、写真(↓)の右のトンネルの方の流れは、後で訪れる南禅寺水路閣に続いています。

写真(↑)左の水路の奥へと歩いて行くと、水路は行き止まりになり、船を台車に乗せて坂道を乗降させていた蹴上インクラインの跡があります。

全長約8kmの琵琶湖疏水の両端の水位差はたったの4mしかないのですが、全長500m余りのインクラインで一気に36mも船を上下させていました。

インクラインの下側は、写真(↓)の南禅寺船溜につながり、さらに左奥の運河は鴨川のすぐそばまで延びています。

古民家でおばんざいランチ

南禅寺船溜の脇にある琵琶湖疏水記念館を見学した後、地元のKさんの案内で「卯sagiの一歩」という古民家風のお店でランチにしました。

京都の伝統的なおばんざいと、ユニークなコンニャク揚げ物バラエティの組合せが、とても美味しく楽しめました。

平安神宮で見頃のショウブを見る

陽射しが暑い中を平安神宮まで歩いて行き・・・

入園料を払って涼し気な神苑に入り、ちょうど見頃のショウブを見ました。これは見応えありました。

神苑を一通り歩いてめぐりましたが、ここでもアオサギ(写真↓左下)がいい感じにポーズを決めてくれました。

南禅寺の水路閣

さらに南禅寺まで歩き、堂々たる三門を見て、その奥にあるお目当ての・・・

水路閣を見ました。お寺の境内に突然現れる古代ローマ風の水道橋は、とても場違いな感じですが、それだけ強烈に印象的です。

上に登ると、とうとうと水が流れていました。この水は、びわ湖疏水船クルーズ終点にあったトンネルから流れてきているものです。

蹴上発電所

この流れに沿って蹴上インクラインの方に歩いて戻って行くと、この水を発電所へと運ぶ水圧鉄管がありました。

その先に、我が国初の水力発電所となった蹴上発電所の素敵な建物がひっそりと残っていました。

明治時代に京都の発展のために日本の技術力で取り組んだ琵琶湖疏水の大事業、その工事責任者は、田邉朔郎という若き技師でした。彼は、工事の途中で渡米して見た水力発電こそが、これから必要な技術だと確信し、今さら変更なんてあり得ないという抵抗に負けずに、当初予定していた水車動力を水力発電に変えて、この蹴上発電所を創設しました。

びわ湖疏水船クルーズを通して、明治の偉業に思いを寄せ、日本人として誇らしいような気持ちをちょっぴり感じました。

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