四王寺山に登って、太宰府の歴史を眺める

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昨日の朝、実家の近くを散歩していたら、冬の福岡にしては珍しく晴れ渡っていて気持ちが良いので、急に山に登りたくなりました。

山登りが好きな母も一緒に行くと言うので、手頃な四王寺山に行き先を決定。

大宰府政庁跡の看板に偽りあり?

実家からバス1本で行ける都府楼前駅に近い大宰府政庁跡から登り始めました。

一昨日に放送されたNHKのテレビ番組「ブラタモリ」の新春特別版で、ちょうど宰府天満宮と宰府政庁跡が紹介されていましたが、天満宮は点あり、政庁は点なしが決まりらしいです。それに従うと、番組でも軽く突っ込まれていたように、政庁跡の入り口に立つ石柱に「宰府址」と書かれているのは、間違っているようです。

ここに居た地元の方が、「諸説あるけど、と書いたのに、墨が滴れて点がついたという話もある」と言っていました。

大和朝廷の天智天皇が置いた大宰府政庁は、平城京・平安京に次ぐ規模で、その跡はさすがに広々として気持ちいいです。今から登る四王寺山が、政庁の背後を守っています。

岩屋城址から展望する

1時間ほど登って、中腹の岩屋城址に着きました。戦国時代の終わり頃に、ここを守る大友軍と、九州制覇の野望を持った薩摩島津軍の間で壮絶な戦いがあった地です。

ここからの展望は素晴らしくて、下の写真の左手中央に大宰府政庁跡、その少し左上のこんもりした緑が、都から大宰府に左遷された菅原道真が蟄居させられていた榎社、右端の緑の線が、大宰府政庁を守る水城の跡です。

四王寺山に登るルートは、選ぶのに迷うくらいたくさんあるのですが、この景色を眺められたので、今日のルートにして良かったと思いました。

焼米ヶ原で満腹になる

もうひと登りで四王寺山脈の稜線に出て、今日のルートの最高地点となる焼米ヶ原でお昼にしました。焼けた米が出土した地で、炊いた米のおにぎりを3個も食べて、満腹です。

標高はたったの340mで、車でも登ってこられますが、大宰府政庁を守った大野城の土塁が残る広々とした草地で、南方の耳納連山を望む景色も楽しめて、気持ちの良い所でした。

太宰府天満宮に降りて初詣をする

そこから急坂を下り、水瓶山を経て、もっと急坂を下って、太宰府天満宮の裏手に出ました。歩行者トンネルを抜けて境内に入ると、お石の茶屋があり、初詣客が梅ヶ枝餅と抹茶を楽しんでいました。

まだお腹いっぱいなので梅ヶ枝餅はおみやげに買って、裏側から本殿に向かい初詣をしました。菅原道真を追って京都から飛んできたと言われる飛梅には、ポツン、ポツンと花が咲いています。

今年は例年より2週間ほど早く大晦日に開花したそうですが、去年は史上2番目に遅い2月13日の開花だったそうで、年によって随分と開きがあることにビックリ。

菅原道真の遺骸を運ぶ牛が頑として動かなくなった場所に、道真が葬られ、そこが太宰府天満宮となりました。そのため、境内には牛の像がいくつかあるのですが、入り口近くのは、いつも記念写真を一緒に撮りたい観光客が列をなしています。

この日も大賑わいでしたが、奇跡的に一瞬をついて人が入らない御神牛を撮ることができました。おみくじも吉だったし、幸先の良い年明けとなりました。


山行記録(山登りをする人に人気のYAMAPというスマホアプリを初めて使って山行記録を取ってみました。なかなか便利で気に入りました。)

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