東海道歩き25: (豊明)→鳴海宿→宮宿

この記事は約3分でお読みいただけます。

今日は三河国から尾張国に入ってすぐの豊明駅から旧東海道歩きを開始して、1時間ほどで桶狭間の古戦場跡にやって来ました。今川義元の大軍を桁違いに少数の織田信長軍が破った所です。その戦いの様子をボランティアのガイドの方が観光客に説明しているのを横で聞かせてもらいました。

昨日通過した池鯉鮒(ちりゅう)宿と、これから向かう鳴海宿の間で、宿泊はできないけど休憩のために栄えた「間の宿」の有松は、古い建物がこれまでの旧東海道の中でも一番と行ってよいほど良く残っていました。

ここは、有松絞りという尾張藩の特産品の絞り染めでも有名な所です。ゆるやかにカーブする街道の両側に伝統的な建物が並んでいて、とっても素晴らしい雰囲気の街並みでした。

鳴海宿まで来ると、ここでもガイドの方が、何かのツァーのグループに、宿場にあった高札場の説明をしていました。これまで歩いてきた宿のあちこちで、高札場を再現したものはよく見かけましたが、幕府が決めた御法度や掟書を庶民に通達するために人目に付きやすい所にかかげたものです。

さらに宮宿まで歩いて、旧東海道の愛知県の陸路の終点、七里の渡しに到着しました。当時、ここと伊勢の桑名宿の間は、七里ある海路を渡し船で移動していました。我が家の旧東海道歩きの大きな節目でもあり、風に吹かれて芦原がたてるさらさらという音を聞きながら、ここまで歩いてきた充実感と達成感で、気分良くしばし休憩しました。

七里の渡しから少し戻って、織田信長も桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願した熱田神宮を参拝しました。それも含めて、21km、2万9千歩の歩きでした。

続きの旧東海道歩きは三重県からになります。ゴールの京都の三条大橋まで歩いて8日分くらいの距離です。日帰りや週末の1泊で行くには遠すぎるので、次はまだいつ歩けるか分かりませんが、とても楽しみです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Translate »