東海道歩き24: 岡崎宿→池鯉鮒宿→(豊明)

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岡崎宿を出てすぐの矢作川を渡る橋の手前に、徳川家光の時代に創業した八丁味噌の老舗がありました。愛知県に入ってから食事の味噌汁が赤だしになっていましたが、このあたりで作られて来た八丁味噌も濃い赤褐色で、三河武士も兵糧として持ち歩いたそうです。

岡崎宿と次の池鯉鮒(ちりゅう)宿の中間あたりにある永安寺に「雲竜の松」という樹齢300年ほどの黒松の巨木がありました。本当に雲のように頭上に広がり、太い幹は竜のようで、とっても貫禄のある松の老木でした。

そこからさらにしばらく歩いた来迎寺という所にある一里塚は、珍しく左右とも現存していました。しかも、初めて両方を1枚の写真にまともに納めることができました。

池鯉鮒(ちりゅう)宿に入ると、何かお祭りでもあるのか、着物を来た人を多く見かけました。ここにも残っている松並木道の側道では、野点をやっている人もいました。池鯉鮒の松並木は側道があるのが特徴で、この地で行われ浮世絵にも描かれている馬市の馬をつなぐためのものだったそうです。

池鯉鮒宿が終わる辺りにある知立神社は七五三の参拝客で賑わっていました。この境内にある木造の多宝塔の美しさにはとても惹きつけられました。

池鯉鮒宿を出てしばらくの洞隣寺の墓地の一番奥に、何度直しても反対側に傾くといわれる中津藩士の墓(左)と、刈谷の昔話でよく聞かれるめったいくやしいの墓(右)が並んで立っていました。墓地の入り口に「村人が改めてあつく葬ってからは墓は傾かなくなった」と書かれていましたが、どう見ても傾いていました。

今日のウォーキングは豊明駅をゴールに、21km、3万1千歩でした。

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