東海道歩き10: 三島宿→沼津宿→原宿→(東田子の浦)

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夏休みの旅行に出かけていたので旧東海道歩きは3週間ぶりです。今日のスタートは、三島宿の三嶋大社。源頼朝が源氏の再興を祈願したところでもあるそうです。

この狭い川にかかった小さな「境川橋」を渡ると、その名の通り、伊豆国から駿河国に入ります。写真の奥の方に、暗くて見にくいですが、「千貫樋」と呼ばれる水路が川の上に架けられています。今川、武田、北條3家の和睦が成立した時に、北條から今川に引出物としてこの樋を築いて水を駿河に通し、清水町の耕地が多大の恩恵を受けたそうです。

日本橋から29番目の「伏見」一里塚は、左右ともにありました。こちらは左側のもので、まさに一里塚らしい形をしていますが、復元されたものです。

こちらは右側のもので、当時の姿をそのまま残しているそうです。

そこから1時間も歩かないうちに、次の一里塚が現れました。変だなあと思ったら、やはり、この場所は距離不足で、正しい場所に作ると宿場内になってしまうため、東側に寄せたとのことでした。何のための一里塚なのか分からなくなってしまいます。

沼津宿を過ぎて、原宿へと進む道は、駿河湾の一番奥の海岸線に沿っているのですが、海は見えませんでした。山側は、残念ながら今日の富士山は頭を雲に隠していましたが、愛鷹山と富士山が建物の間から何度もよく見えました。浮世絵「朝の富士」に描かれた構図もこのあたりから眺めたものです。

原宿に着いてもまだ元気も時間もあったので、東海道線の一駅分、東田子の浦まで歩いて今日のゴールとしました。

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