東海道歩き03: 川崎宿→神奈川宿→保土ヶ谷宿

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当時、東海道には1里(約4km)毎に塚が築かれていたのですが、日本橋を発って5番目の一里塚で、ようやく現存するものを見ることができました。どの一里塚にも榎(えのき)の木が植えてあるのは、家康は良い木(ええき)を植えよと言ったのを聞きまちがえたから、という話もあるそうです。

鶴見川を渡って川崎市から横浜市になりました。川崎宿からずっと道幅の狭い旧東海道を歩いてきましたが、また、大通りの国道15号(第1京浜)に合流することになります。そのちょっと手前に、生麦事件が起きた場所がありました。今は、このプレートがあるだけです。

生麦村を通過中の薩摩藩の行列に騎馬で乗り込んだために切りつけられたイギリス人が、駆け込んで助けを求めたのがこの本覚寺です。ここに住んでいたヘボン式ローマ字として名前が残るアメリカ人宣教師ヘボン博士が、そのイギリス人の手当てをしました。

今日もたくさんの神社やお寺を見ましたが、一番ユニークだったのは、東神奈川駅を過ぎたところにある慶運寺です。うらしま寺とも呼ばれ、何とここには浦島太郎が竜宮城で乙姫様からもらって持ち帰った玉手箱があるそうです。手水鉢も亀の形だし、このあたりの道路の歩道に立っているポールの頭も亀の甲羅模様になっていました。

またこの辺りは第1京浜から離れて旧街道らしい道を歩いています。この立派な料亭は、今は田中屋と呼ばれていますが、坂本龍馬亡き後に、その妻のおりょうが働いていた「さくらや」だったところです。東海道五十三次の浮世絵の「神奈川」にも描かれ、高杉晋作も訪れた旅籠でした。

本覚寺や田中屋がある所は、もう神奈川宿の一部ですが、まだ元気だったので、次の保土ヶ谷宿まで続けて歩くことにしました。これまでは宿と宿の間が10kmくらいでしたが、神奈川宿からその半分足らずの距離で保土ヶ谷宿にやってきました。
東海道五十三次の浮世絵の「保土ヶ谷」に描かれた橋があった場所は、今は写真ように天王町駅前の公園の一部になってしまってました。浮世絵通りとは言わなくても、せめてその雰囲気が感じられる景色が見られればと願っているのですが、なかなか難しいものです。

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