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鉄道もない時代に江戸から京都まで歩くとはどういうものだったのか、実際に体験してみるのも面白そうなので、週末を利用してこつこつと歩いてみることにしました。
出発点は、東海道を含む五街道の起点「お江戸日本橋」です。実際に日本橋をしげしげと眺めるのは初めてですが、獅子と麒麟の像がなかなか格好いいです。
橋のすぐそばに、「日本国道路元標」の複製(下の写真の左下の四角いプレート)がありました。本物は、車が通る日本橋のど真ん中にあるそうですが、見損ねました。
日本橋から品川駅の先までは、ずっと国道15号(第1京浜)の大通り沿いで、大して見処もありませんが、いつも地下鉄でモグラのように時々地上に顔を出すような移動の仕方をして東京の土地勘はあやしいものだったところ、日本橋→京橋→銀座→新橋・・・と一気に歩くと、それぞれがどれくらいの広がりでどうつながっているのか分かりやすかったです。その中で、旧街道らしいポイントとして、西郷隆盛と勝海舟の会見の地というのがあり、この近くのお店でお昼にしました。
赤穂浪士が葬られている泉岳寺にも立ち寄りました。忠臣蔵に特に思い入れがある訳ではないので、私はここを訪れるのはたぶん初めてです。
品川駅を過ぎると、国道を離れてようやく旧街道らしい道になりました。当時の街道の幅のままというのが嬉しいです。この辺りに、高杉晋作、久坂玄瑞など、幕末の志士たちが密議をした旅籠があるとのことで、行ったり来たりして探したのですが見つからず、地元の人に聞いて2人目で、「そこ、目の前にあるよ」と教えてもらったのが、このポツンと立った道標のようなものに書かれた「土蔵相模跡」という文字でした。
今日の目的地、品川宿に14:10に到着しました。日本橋を10時に出発して、思ったほど時間はかからずに、寄り道を含めると10kmくらいを歩きました。今日はこれ以上は歩きたくないなあ、でもこれなら明日も歩けるかなと思えるくらいの、絶妙な場所に東海道五十三次の最初の宿の地がありました。