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シリア旅行を計画
2004年の夏休み、娘(大2)、息子(高2)も一緒に家族4人で海外旅行をするのは、おそらく最後のチャンスになるので、想い出に残る旅をしようと、シリアに行くことにしました。
パルミラの遺跡と、聖書時代からの古代都市であるダマスカスの旧市街が、とても楽しみです。
一番安い航空券は、ベスト・エアライン・オブ・ザ・イヤーを連続して取ったエミレーツ航空の関空発着ドバイ乗換便で、関空〜羽田間の国内線も追加料金なしでした。
ダマスカス往復の航空便以外は、ホテルもシリア国内交通も何も予約せずに行き、現地での状況・情報・気分に応じて、自由気ままにシリアを見てまわることにしました。
シリアはどんな国?
東はイラク、北はトルコ、西は地中海とレバノン、南はヨルダンに囲まれ、大半は砂漠(砂じゃないけど)のアラブの国です。
実際に行って見てきた印象をキーワード的に並べると、暑くて乾燥、物価は安い、アラブ料理、シリア人は親切、親日的、とても治安が良く安全、・・・という国です。
この旅行記を公開した2018年現在、シリアは「とても治安が良く安全」とは真逆の状況で、それはとても悲しいことです。しかし、旅行した2004年は、本当に安全で楽しく旅行できる国だったのです。以前のシリアが、こんなに素敵な国だったことを少しでも伝えられれば幸いです。
日中は40度以上になることも多く、めっちゃ暑かったです。でも日陰に入って風に吹かれると、カラッとしていて気持ちいいのが、日本の蒸し暑い猛暑との違いでした。
旅程(2004年)
7/23: 羽田2040→2155関空2320→
7/24: →515ドバイ1400→1605ダマスカス
7/25: ダマスカス
7/26: ダマスカス→パルミラ
7/27: パルミラ→ラッカ→アレッポ
7/28: アレッポ
7/29: アレッポ→ハマ
7/30: ハマからクラック・デ・シュバリエ城往復
7/31: ハマ→ダマスカス1725→2125ドバイ
8/1: ドバイ0230→1700関空2110→2215羽田
旅行後に選んだシリア旅行のベスト10
1. 早朝のパルミラ遺跡
早朝涼しくて強い風の中、静かなパルミラの遺跡の中を歩き回りました。娘、息子はラクダに乗れたし、妻はローマの円形劇場で何と日本からはるばる持って行った携帯電子ピアノを弾きました。遺跡の中では最奥部の塔の上に上れたのが良かったです。
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2. ダマスカスのウマイヤ・モスク(イスラム教徒の第4の聖地)
その中は、きれいですべすべの石が張り巡らされた広々とした中庭があり、建物の中に入ると、涙を流して聖地にやって来た感動を表している人、寝転がって昼寝している人、それぞれがそれぞれの時を過ごしていました。
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3. パルミラの遺跡を見下ろすアラブ城で迎えた日没
360度の眺めの中に、パルミラの遺跡、緑のオアシス、サッカーに興じる人々が点のように見える競馬場(馬じゃなくてラクダかも)、ベドウィンの住居、ポツポツとそびえ建つ塔墓、何もない砂漠がありました。
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4. ユーフラテス川
名前は小学生の時から何度も聞いていながら、写真でも見たことのない川を、この目で見ることができました。イメージしていたよりも、ずっと広くて、青くて、きれいで、偉大でした。
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5. パルミラのオアシスの中の散歩
ざくろの実を採って食べ歩きながら、砂漠の中で暮らす人々の生活や経済が垣間見えました。
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6. ハマの町中の大水車
ギシギシと歴史を感じさせる音をたてながら回っていました。かんかん照りの中を間違った道を歩いていたところ、声をかけてくれて水車まで送ってくれた古い大型トラックの運転手の親切も心に残りました。
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7. ベドウィンのテントでお茶
砂漠の中でベドウィンの羊飼いの写真を撮らせてもらうために車を停めたら、テントに招待されてお茶をごちそうになりました。甘いお茶だけどおいしかったです。なぜか飼い猫が私を気に入ってくれて、ベターとくっついたまま寝てました。
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8. パルミラからアレッポに向かう砂漠の中で2ヶ所寄った遺跡
他に誰もいない広い静かな遺跡を好きなだけ占有できて、特に子供達はあちこち探検できるところがあって喜んでいました。
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9. ドバイ郊外の砂漠
飛行機の乗換時間を利用して、かなり時間的にギリギリかなと思ったけど思い切ってバスでオマーン国境まで行く道中で、砂漠らしい砂漠が見れました。空港に戻るのに市内バスに乗り換えたらすごく遠回りして、ダマスカス行きの飛行機にあやうく遅れるところでした。
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10. アレッポのスーク
屋根付きの狭い通路にびっしり並ぶ商店、そこから漂うスパイスなどのいろいろな匂い、ごちゃごちゃと人やロバや何でここを車が通るの?という混沌、とってもアラブ的でした。
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番外. アレッポのアルトゥニアン家の跡地
アレッポの街中で、探していたアーサー・ランサム(私が愛する「ツバメ号とアマゾン号」シリーズの著者)由来の場所に、運と人の親切で行き着けました。
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