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眺めの良い山岳道路でサラエボへ
モスタルからサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)に向かうネレトヴァ川沿いの道は、とても景色が良くて、マスの養魚場のようなところがいくつかありました。
仔羊を丸焼きにしているレストランもいくつか見かけました。これは一度食べてみたいものです。
大きなダム湖(ヤブラニツァ湖)を過ぎると下り道になり、モスタルから2時間半ほどのドライブでサラエボに到着です。
戦争の爪痕が残るサラエボ市街
ところが、街の規模のわりに駐車場が少ないのか、どこも満車で30分ほどさまよったあげく、スケンデリヤという大きなショッピングセンターにようやく駐めることができました。
サラエボ市街の観光には、キオスクで切符を買ってトラムに乗ってまわりました。
まず、サラエボ市庁舎を見に行きました。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でサラエボが包囲された1992年にセルビア人勢力による爆撃で破壊されたものが、いまだに復興作業中です。
そこからバシチャルシアと呼ばれる旧市街のメインストリートを散策しながら、モスク、シナゴーグ、カテドラル、セルビア正教会など、多様な宗教ごとの礼拝の場を見てまわりました。
金属加工品や陶器、宝飾品などの職人街もあり、見て歩くだけでも楽しいです。
サラエボと言えば、第1次世界大戦の発端となったサラエボ事件の現場ははずせません。オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が暗殺されたのが、このラテン橋です。
とても雰囲気の良いレストランに入って、木が生い茂る中庭のテーブルで、美味しいトルコ料理(ドルマ)のランチにしました。
1984年のサラエボ冬季オリンピックと言えば、トービル・ディーン組がボレロの曲に合わせて踊ったアイスダンスで審査員全員が6点満点を付けた演技が、今でも忘れらせません。
そのフィギュアスケートの会場だったゼトラオリンピックホールは、戦争で大きな被害を受けたのですが、今はきれいに復興されていました。
しかし、そのそばのオリンピックスタジアムがあったところは、今は、戦争で犠牲となった一般市民の白い墓標で埋め尽くされています。
合掌・・・
ブナ川源流のイスラム聖地
13時過ぎにはサラエボを出発し、モスタルを過ぎたところで、ブラガイ(Blagaj)という村にあるブナ川の源流に立ち寄りました。
春の長雨のせいでどこも水量が増えていて、あふれた水で歩けなくなっているところもあります。
川の源流は、モンテネグロで見た「世界一短い川」と同様に、崖の下から流れ出していました。
ここは、イスラム教の聖地でもあり、崖下に建つブラガイ修道院に入ろうとすると、隣接する土産物屋さんがスカーフを持ってきて、妻は頭を覆うように言われました。
中にはいくつもの小部屋があって、お祈りをしている人がいました。1人のおばあさんに、しきりに何かを話しかけられたり、手を握られたりしたのですが、残念ながら言葉が全く分かりませんでした。
クロアチアに戻って宿探し
昨日通った国境を17時頃に越えてクロアチアに戻り、海岸沿いに北上しながら今夜の宿を探すことにしました。
ところが、幹線道路が通行止めになっていて大きく山道を迂回させられました。それがとんでもない山道で、大型トラックやバスや農家のトラクターまでが、細い道路で離合するので大渋滞です。おまけに遠回りで、海岸線に出たのはほとんど18時でした。
海岸沿いの町や村に入っては宿を探しましたが、シーズンオフでどこも営業していません。
ようやくグラダク(Gradac) という小さなリゾート地で、地元のおじさんが、唯一営業している宿を教えてくれて、525クーナ(€75、約1.2万円)もするホテル・マルコポーロという4つ星ホテルに泊まることになりました。
高いホテルなのにシャワーはぬるいし部屋もさほど広くなく、やっぱりアパートの方が落ち着きます。
夕食は、ホテル近くのスーパーでソーセージ、スープ、パン、パテ、チーズ等を買ってきて簡単に済ませました。