この記事は約5分でお読みいただけます。
スルジ山の戦争跡からドゥブロヴニクを一望
朝日を浴びて輝いているドゥブロヴニクに戻って来ました。
街の山側にそびえるスルジ山(標高412m)に車で登ると、戦争で破壊されたロープウェイ駅越しに、ドゥブロヴニク旧市街が一望できました。
右手の方には新市街のグルージュ港や、その向こうにダルマチア式海岸の島々が見えています。
見渡す素晴らしい景色とは対照的に、すぐ横には独立戦争の爪痕が痛々しく残っていました。
ツァブタットの海でウニを発見
昨晩インフォメーションでアパートを紹介してもらった時に、毎週日曜11:15から空港近くのチリピ(Cilipi)という村の教会でお祭りがあると聞いたので、時間調整のためにまた宿泊したツァブタットに戻って、海辺を散策しました。
海の水が信じられないほど透き通っています。
海の中をのぞくと、何と美味しそうなウニがたくさんいました。
こっそり一つ苦労して取って割ってみたのですが、まだ成熟してなかったので食べられなくて残念でした。
チリピ民族舞踏祭で妻も踊る
お祭りが始まる時間に合わせてチリピに行くと、小学校の校庭が駐車場になっていて、村の教会の前にたくさんの人が集まって来ていました。
入場料は、教会のワイナリーの1口ワイン付きで1人40クーナ(940円)で、民族芸術博物館も見学しました。
手作りの刺繍、レース製品、ジャム、蜂蜜、リキュール、オリーヴオイル、石鹸など、クロアチアの特産品も売られています。
民族舞踏が始まりました。中世の結婚式の衣装で登場したり、寸劇が入ったり、なかなか楽しめます。
弦楽器を中心にした生バンドに合わせて、民族衣装の人々が伝統的な歌と踊りを披露します。
最後にダンサーが観客から何人かを手招いてのダンスがあり、妻もご指名されて抵抗する暇もなく中央へ連れて行かれ、踊ることになりました。相手のリードが上手だったので何とか踊らされて楽しかったそうです。
近くのパン屋で焼きたてパンとチェリーケーキを買って、道路端のベンチで絶景ピクニックランチをした後、1週間近くもいたドゥブロヴニク周辺を後にしました。
3つの民族と宗教が拮抗するボスニア・ヘルツェゴビナに入国
国境を越えてボスニア・ヘルツェゴビナに入り、しばらく行くと小さな町にイスラム教のモスクがありました。
かつて「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と称された旧ユーゴスラビアですが、中でもボスニア・ヘルツェゴビナは、
- ボシュニャク人(多くはイスラム)
- クロアチア人(多くはカトリック)
- セルビア人(多くは正教)
が、概ね拮抗する割合で暮らしていた地域です。
イスラムとカトリックを結ぶモスタルの橋
それを象徴するような、それ故の悲劇も起きたモスタル(Mostar)の街に来ました。
市内を流れるネレトヴァ川の右岸にはクロアチア人(カトリック)、左岸にはボシュニャク人(イスラム)が住み、世界遺産の橋「スタリ・モスト」が、その2つを結んでいます。
この橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1993年にボシュニャク人と争うクロアチア人によって破壊され、2004年に復興しましたが、橋のたもとには、「1993年を忘れるな」と書かれた石が置かれています。
今でも銃痕が残っている建物もありました。
川沿いを散策しながら、モスクや戦争中の写真展を見ました。
お土産物屋はおもしろくて、トルコ風、ロシア風、アラブ風のものなどを一緒くたに売っています。
夜のスタリ・モスト
スタリ・モストが見える川沿いのレストランで夕食にしました。
夕陽で照らされる対岸を望める右岸のお店に入ったので、出てくるのはクロアチア料理で、チュバブチチ(俵型のハンバーグのようなもの)、マスのグリル、サラダ、アイスクリーム、トルココーヒーの定食で€7。
レモネードを頼んだら、レモンを絞った”水”と一緒に、「砂糖は自分で好きなだけ入れて」と、砂糖壷をドカンと置いていきました。
暗くなって、イルミネートされたスタリ・モストを左岸から眺めてから、右岸の宿に戻りました。
今晩の宿は、モスタルに着いた時に、両岸それぞれのインフォメーションで尋ねたのですが、最初に薦められた右岸の€40のアパートに決めました。