東海道歩き18: 袋井宿→見附宿→(天竜川)

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東海道どまん中の袋井宿を出ると、久々に一里塚らしい一里塚がありました。日本橋から61番目になります。ゴールの京都の最後の一里塚が124番目のようなので、あれっ、まだ半分になってなくて変ですね。

三ケ野橋を渡って太田川を越えると、昔から東西交通の要綱だった所らしく、鎌倉道、江戸道、大正道、平成道など、時代別に順次作られた7つの道がこの辺りにまとまってあり、我が家は江戸道を選んで細い坂道を登って行きました。

坂を下って見附宿に入りました。そこだけぽっこりとやぶのようになった塚を何の標識もない急な階段で数段登ると、まるで隠してあるかのように、江戸時代の刑場であったことを示す標識がひっそり立っていました。日本座衛門という大盗賊の首がここでさらされたそうです。何かちょっと不気味で、見てはいけないものを見たような感じでした。

近いようで遠く、なかなか着かない天竜川を目指して歩いていくと、旧街道は、なぜか川の手前でわざと遠回りするようなルートになっています。当時の渡し場は少し上流寄りにあったのですが、今から渡る橋は少し下流にあるので、本当にバカみたいに遠回りして歩きます。その通りに歩いても当時を偲ばせるものと言えば、この石碑がぽつんと建っているだけでした。

天竜川の川幅は、大井川と変わらないくらい広く、周りに山も高い建物もないので空も広く、開放感に包まれて長い橋を歩いていると、夕暮れ空に飛行機雲がきれいでした。

天竜川を渡り終えて振り返ると、空気が澄んでいて遠くの山並みが小さく見えますが、もうここまで来ると富士山は見えませんでした。ちなみに、今過ぎてきた見附宿は、なぜ磐田の街にあるのに磐田宿と呼ばずに見附と呼ばれるかというと、京都から旅してきて初めて富士山が見られるところだからとのことです。

その後、日が暮れてJR天竜川駅まで歩いてこの日のゴールとしましたが、これまで最高の22km、3万4千歩の歩きでした。

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