東海道歩き16: 島田宿→金谷宿→日坂宿

この記事は約4分でお読みいただけます。

島田宿を出ると、旧東海道で「越すに越されぬ」と言われた難所の大井川をいよいよ渡ります。川越人足が詰めていた番宿と呼ばれる建物がいくつも当時の姿で旧街道沿いに残っていて、自由に中に入って見学できるようになっていました。当時の川を渡る時の手順や料金などの説明は面白かったです。一般の人は、人足の肩車で渡るのが最も安く、普通の手段でしたが、身分の高い人や荷物は、写真の「連台」というものに乗って運ばれたそうです。

昔の渡しの場所の少し上流側に架けられている1km以上もある橋を歩いて渡りました。今朝がたまで降り続いていた雨で、大井川の水は濁っていて、きっといつも以上の水量なのでしょうが、何しろ川幅が広いので、まだまだ水が増えてもゆとりがある感じでした。

川を渡り終えて、昔の渡しのあった場所から今渡ってきた橋を振り返ると、その奥にくっきりと富士山の姿も見えました。川を渡ると金谷宿ですが、これだけ大きな川を渡っても、まだ同じ島田市なのがちょっと不思議でした。昼食に入った「しぞーかおでん」のお店で、地元の方が、合併によってここも島田になったけど、今でも島田と言うと川の向こう側の気がするそうです。その島田では、今日は三大奇祭の1つに数えられるお祭りをやっているので、今から見に行くとのこと。今朝、島田宿で経つ時に、そのお祭りの準備をしている様子でしたが、雨があがって良かったです。

金谷宿からは、御前崎に連なる丘陵地を越える峠が2つ連続してある難所です。1つ目の峠道は、地元の人によって復元された石畳になっていました。登り口には、石畳茶屋という立派な建物がありましたが、お腹いっぱいなのでパスです。

石畳の急坂を降りると、金谷宿と日坂宿の間にある間の宿菊川のこじんまりした街です。本宿と本宿の間にある間の宿は、旅人が休憩するためのもので、宿泊は厳禁されていて、尾頭付きの本格的な料理を出すことも禁止されていたそうです。そこからまた急坂を登る小夜の中山と呼ばれる難所の峠越えです。一旦登り切ると、茶畑が両側に広がる尾根道で、涼しくて見晴らしの良い快適なウォーキングができました。ここからもくっきりと富士山が見えています。これほどよく見えるのは久しぶりなのか、地元らしい人も富士山を指差して歓声をあげていました。

これまで旧東海道を歩いてきた中で一番の急坂ではないかと思われる二の曲がりと言われる所を降りると日坂宿です。とても小さな宿ですが、古い建物がいくつも残っていて、とても良い感じの街でした。広重が描いた日坂の浮世絵にも、小夜の中山の急坂が描かれています。

できれば掛川宿まで歩こうと思っていましたが、20km以上歩いて足が疲れていたし、明日も歩くので、まだ掛川駅まで7kmあるところでバスに乗って、駅近くのビジネスホテルで1泊です。夜は、掛川城のライトアップされた夜景や、掛川の街でもお祭りの真っ最中だったので、熱気につつまれた神輿を眺めました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Translate »