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旧東海道歩きは、昨日までの相模国、神奈川県を終えて、箱根峠を境に、今日から伊豆国、静岡県に入ります。朝の箱根峠は、秋の気配を感じるほど涼しく、少し霧もかかっていました。峠からの下り道は、周りに現代的な人造物がない静かな石畳の道が続き、これまでで一番、当時の東海道を歩いている気分に没入できました。前から陣笠をかぶった人や、着物を着た人が歩いてきても、不思議じゃないような雰囲気です。木や竹のトンネルのような道になっていて、木陰で暑くならずに歩けるのもいいです。
写真の石は、国道1号の拡幅工事で元の場所から移動されたものですが、その形の通り「かぶと石」と言われています。秀吉が小田原征伐の際に兜をこの石に置いたからその名前が付いたとも言われているそうです。
箱根峠から1時間半ほど降りて、山中城跡にやってきました。広大で複雑な地形の城跡です。北条氏が小田原防備のために築き、秀吉の小田原攻めの前に増強されましたが、約17倍の人数の軍勢に、わずか半日で落城したという悲劇の山城です。一番上まで登って周りの景色を眺めた時には、富士山は雲の中でした。
旧東海道は一部工事中のため、国道を迂回路として歩かなくてはならない区間がありましたが、雲から姿を現した富士山になぐさめられました。
峠から最初はゆるやかな坂を下ってきましたが、途中で「こわめし坂」と呼ばれる急坂を下り、旧東海道が国道1号と合流したちょっと先に、左右ともしっかり残っている錦田の一里塚がありました。両方残っている中ではこれまでで一番、一里塚らしい一里塚でした。
すっかり山を降りて、大場川(通称:神川)にかかる橋を渡ると、今日の目的地の三島宿に入ります。広重がこの辺りから見た雪の富士山を浮世絵に描いたそうですが、今日も橋から富士山が見えていました。
最初は涼しかったものの、山を降りて市街地に入り、アスファルトの照り返しが厳しい道を歩いていると、さすがに猛暑が堪えます。今日のご褒美にファミレスで特大のフラッペをいただき、火照った身体を冷やしました。
お盆の前後は旅行に出かけるため、しばらく旧東海道歩きはお休みですが、酷暑が去ってから、また続きを歩くのが楽しみです。