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多摩川を水源から河口まで歩いてみることにしました。
多摩川水系の源流は、山梨県と埼玉県の境にある笠取山ですが、今回は、「多摩川」という名前の川の水源となる奥多摩湖をスタートにしました。
28年ぶりに奥多摩湖の進化した浮橋を渡る
自宅から奥多摩湖まで車で2時間ちょっとかかるので、せっかく来たついでに、湖の一番奥にある浮橋(留浦浮橋)を歩いて渡ってみました。
奥多摩湖の浮橋は、38年前に来た時に渡って以来です。当時の写真(↓)では、ドラム缶が浮きに使われていましたが、現在は、もっと揺れにくい形に改良されていました。
現在の浮橋の真ん中には、ボートを通すために橋の一部を開く仕組みらしきものがありました。
小河内ダム直下に多摩川の源流を見る
奥多摩湖を造った小河内ダムは、堰堤の上を歩けるようになっていて、その先の展望塔のあたりから下流側を見下ろすと、「多摩川」の源流が見えました。
と思ったら、実は上の写真の橋の左側へと、さらに川は遡っていて、ダム堤体から少し離れた所にある非常用洪水吐の直下が、本当の源流になっていました。
超広角にしないと源流と洪水吐を1枚の写真(↑)に収められないくらい、ここの景色はスケールが大きくて迫力がありました。
道を間違いながら苦労して旧道に入る
ダムのそばにある入館無料の水と湖のふれいあい館を見て、奥多摩湖を眺めながら持って来たランチを食べて、12時ちょうどに川歩きに出発です。
最初に国道のトンネルを歩いて抜けました。狭いながらも歩道スペースはあったので、それほど怖い思いはせずに歩けました。
ところが、実はいきなり道を間違っていました。帰宅後に分かったのですが、「奥多摩むかし道」という旧道を歩けば、遠回りにはなりますが、トンネルは使わずに、より川沿いに歩けるようになっていました。
トンネルを抜けた場合でも、トンネルを出てすぐの右に降りる道に入れば、旧道への近道だったのですが、Google Mapでは道がつながっていないように見えたので、国道をしばらく進み、次のトンネルの手前で右にUターンするように降りる道から遠回りして旧道に入りました。
国道は川から随分と高い所に付けられているので、旧道は大きく遠回りしながら、川に近づくように降りて行きます。
最初の頃は、旧道からでも、木の間に遠くの川が時々顔をのぞかせる感じでした。
とても雰囲気の良い“むかし道”を歩く
奥多摩むかし道、すなわち旧青梅街道は、車がほとんど通ることもなく、たまにハイカーとすれ違うくらいの静かな道で、とても気分良く歩けました。
多摩川を渡る吊り橋がありましたが、橋の先がどこにつながっているのか分からないので、途中まで渡ってまた戻りました。
一度に渡れるのは定員2名までとのことです。
吊り橋は、もう1つありましたが、これも途中まで渡って引き返しました。
むかし道の最初の方では、たまに家があっても廃屋ばかりで、まるで世捨て人が住むような場所に見えましたが、だんだんとちゃんと人の住む家も出てきました。
中でもこの家は、冬に備えてか、大小の薪が整然と積み重ねられていて、自然豊かな山の中での人の暮らしを感じました。
地図にもない謎の道を目撃する
むかし道の右側の下の方に多摩川、左側の上の方に国道が並行してあります。
国道は、時々車の音が聞こえるくらいでしたが、白髭トンネルの手前では、すぐ近くまで接近しました。
その国道を見上げると、なんと、その奥のさらに上の方に、もう1本、地図にも乗っていない道らしきものが見えています。
謎だったのですが、帰宅後に調べてみると、おそらく、小河内ダムを建設するために作られた水根貨物線の廃線跡ではないかと思われます。
いつか、奥多摩の廃線跡も探検してみたいです。
後半は国道を歩いて何度も多摩川を渡る
橋詰というバス停がある所で、旧道と国道が交差しました。
そこから奥多摩駅までは、むしろ国道の方が何度も多摩川を渡りながら、川に近い所を通るので、後半は国道を歩くことにしました。
橋を渡る度に多摩川の写真を撮りながら、残りの区間を歩きました。
今日は奥多摩駅まで歩く予定でしたが、その1つ手前のバス停まで来た時に、1時間に1〜2本しかないバスが後6分で来るので、そこで切り上げて、バスで車を駐めてある奥多摩湖まで戻りました。
帰る前に、奥多摩駅のそばにあるもえぎの湯で温泉露天風呂につかり、早めの軽い夕食に、うどん派の私は、わさびピリピリのうどん、妻はとろろ蕎麦をいただきました。
今日の川歩きの歩行距離は8.7km、歩行時間は2時間40分でした。