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何か分からない乳製品の朝食
蚊がいるし、暑いのに、妻と娘がエアコンを嫌がるので汗かくし、今までで一番眠れませんでした。
朝食は、800mくらい歩いた所の「地球の歩き方」に載っている店を探して、名前はアラビア語のみで分からないものの、乳製品を3種類食べました。息子の米がはいったのと、娘のは美味しかったけど、親のは甘過ぎでした。
愛読書ゆかりの聖地を訪ねる
私の一番の愛読書『ツバメ号とアマゾン号』シリーズの著者であるアーサー・ランサムは、1932年1~4月にシリアのアレッポのアルトゥニアン家(その子供達がツバメ号のモデル)に滞在中に、シリーズの第3巻『ヤマネコ号の冒険』を執筆しました。
旅行前に、その場所がどこにあるのか特定できないまま出発したのですが、アラビアのロレンスも滞在したアレッポの老舗「バロン・ホテル」の人に聞けば分かるかもしれないと思い、まずそのホテルまで行ってみました。
ホテルの玄関前に座っていたおばさんに「アルトゥニアン病院があった場所」を尋ねてみると、幸いご存知で、近くにいたおじさんが、2〜3分歩いてそこまで親切に連れて行ってくれました。
おじさんが示してくれた場所は、建物は何も無く、塀に囲まれた空き地になっていました。隣に映画館と教会があるところは、探している場所に一致します。
アルトゥニアン家の長女タクィが書いた『In Aleppo Once』という本に載っている写真と比べると、教会の入り口の鉄格子の門の模様が全く同じでした。確かに探していた場所はここで間違いありません。行けて見れて本当に良かったです。
スークを歩き、アレッポ城を見る
ツーリスト・インフォメーションに立ち寄って、無料地図をもらい、明日のバスの乗り場を確認しました。
ホテルのそばで水を買って、妻と息子がお腹をこわしているのでホテルに一度戻り、一休みしてから市街観光に出発しました。
アレッポのスーク(市場)は、実に混沌としていて、狭くて薄暗くて、異国情緒たっぷりの最高の雰囲気でした。この狭い通路をロバのみならず、時々自動車が通るので驚きです。
スークにたくさんあるアレッポ名物の石鹸を売っているお店の1つで、妻と娘がどっさり石鹸を買いました。石鹸と言っても侮れません。実に色々な形のものがあって、芸術作品のようです。
妻の石鹸は重たいので私が持つことになり、スークを最後まで歩いて出たところが、アレッポ城です。
石鹸を持ったまま、堀を渡る坂道を登ってアレッポ城に入りました。
高いところにあるアレッポ城からの景色はいいけど、城内は広くて、地面が白っぽいためまぶしくて、とにかく暑いです。娘はめまいがしてダウン気味です。
大モスクには入れなかったので、隣の小モスクに入ってみました。女性は体を覆う服を貸してくれて、それを着て入ります。入っても、お祈りをするわけではないので、手持ち無沙汰でした。
暑い午後は、のんびり過ごす
また水を買ってホテルに戻り、4人部屋から、1階上の2人部屋2つに引越しました。今晩はエアコンを付けて眠れます。新しい部屋には、冷蔵庫、ソファ、テーブル、椅子、ステレオセット、ベランダ付きで、どれも4人部屋にはなかったものです。
昼食は、完全にダウンした娘にはフルーツを買ってきてあげて、他の3人は安くて(25SP)美味しいシュワルマ・サンドイッチにしました。
食後に考古学博物館に行ってみると、日本と合同でネアンデルタール人の子供を発掘した展示がありました。説明してくれる人がいたので、他の展示物よりも興味深く見れました。
ホテルに戻り、昼寝してのんびりします。妻が、くたばっている娘用に、ペットボトルにアップルジュースを入れてもらってきました。
夕食は、20時半頃、「地球の歩き方」おすすめの店の隣(昨日のお店の並び)に行きました。最初、客引きにエレベーターで3階まで乗せられて、ちょっと不安でしたが、上は広くて、ソファのいすで座り易くて、シーリングファンもあるし、ウェイターも英語がよく話せる人がいるし、料理も美味しくて、とても良かったです。
娘は野菜スープを半分だけ、息子はラムがご飯に乗ったのをそこそこ、妻は食欲が戻ってよく食べて、今日5本目(1本1.5L)の水を買ってホテルに戻りました。