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今や1家族だけが残る廃墟の村
次に向かったのはドゥイレットという村です。平地から山になるところの山頂にクサールが造られ、山の中腹には白いモスクが建っています。
かつては何千人も住んでいた村ですが、いまは廃墟同然で、残っているのはなんと一家族だけだそうです。村の中を歩いてみましたが、ひっそりとしていて、生活臭はありませんでした。
谷を挟んだ新旧の村をじっくり眺める
この日最後の目的地はシェニニです。山全体が一つの村になっていて、ここも白いモスクが目立ちます。規模は大きいですが、やはり荒廃しています。
もう17時をとっくに過ぎているのに、我々観光客を見つけた少年がしつこくガイドをすると言ってまとわりついてきました。ほんの片言の英語しか喋れない少年でした。可哀想だけれど、こちらも何度も「ガイドは必要ない!」と断り続けたあげくのはてに、「日本人はけちんぼ!」多分そんなことを叫んで去っていきました。
山道が割りと険しいので、妻は登るのはモスクまでにしましたが、私は山頂まで登りながら廃墟を隅々まで歩き回ってみました。
山頂からは、遠くまで広がるタタウィンの平野を望めました。
ここで生活していた人々の末裔が、谷を挟んで反対側の斜面に日干し煉瓦で家々を作って大勢が生活しています。
ちょうど夕方時だったので、ひとびとの動きが活発で、子供の泣き声や、羊飼いの少年が帰宅して手足を洗う様子、お母さんのお手伝いをしている少女、あちこちから夕餉の支度の煙が立ち昇るのを眺めたりするのは飽きませんでした。
ホテルでイマイチな夕食をいただく
19時をまわってホテルに戻り、疲れていたので街中のレストランでなく、ホテル内のレストランで夕食にしました。
レストランは20時にならないとコックが来ないと言われ、待たされ、やっと食事にありつけると思ったら、頼みたいメニューがことごとく品切れで作ってもらえず、ホテル特製サラダとオジャというチュニジア料理(トマトソースの中に玉子を落として煮込んだような料理)、ブリック(2度目だけれど、玉子とポテトの入った揚げ餃子状の料理)、デザートに良く冷えたメロンを注文しました。
オジャは美味しかったけれど、サラダはただの生野菜のみじん切りを塩だけで食べるのはちょっと辛かったので、たまたま日本から持参していたドレッシングのミニパックを部屋までわざわざ取りに行って食べました。
ホテルなのにビールもなくて、値段のわりにイマイチな夕食でした。
暑い街中を歩く元気がなかったから仕方ありません。
今日1日のルートです。