アフリカクルーズ10日目:ダカール(セネガル)寄港〜世界遺産のゴレ島(奴隷の家)

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いよいよアフリカ大陸です。

その最初の寄港地、セネガルの首都ダカールでは、「忘れられないゴレ島」と題された寄港地ツアーに参加します。

ゴレ島に渡る

朝7時に入港すると、地面にはさっそくたくさんの土産物が並べられていました。太陽のすぐ下には、これから訪れるゴレ島のシルエットが見えています。

歩いても行ける距離ですが、船を下船したところから貸切バスでゴレ島に渡る船着場に移動し、他のツアー客や個人の旅行者と一緒にしばらく並びました。

船はほぼ定刻の10時過ぎに出航して、20分ほどでゴレ島に着きました。

負の世界遺産「奴隷の家」

まず最初に「奴隷の家」と呼ばれる博物館を見学しました。奴隷貿易の拠点だったところで、建物の1階にはアフリカ各地から集められてきた奴隷たちが選別され詰め込まれていました。

奴隷たちは、家族がバラバラに引き裂かれ、性別や体力などによって各部屋に分けられ、船に乗るまでの間、ここで待機させられました。奴隷としての価値がない者は、海に捨てられたそうです。

そして、この「帰らざる扉」を通って船に積み込まれた後は、2度とアフリカの故郷に戻って来ることはなかったのです。

その悲惨な歴史を後世に伝えて2度と繰り返さないように、奴隷の家は負の世界遺産になっています。

島の風景

セネガルは95%がイスラム教徒ですが、少数のキリスト教徒も平和に共存していて、島にも教会がありました。

目立つ椰子の木が1本立っていたのですが、よくよく見ると、本物の木ではなくモバイル基地局でした。

島には普通にここで暮らしている島民ももちろんいます。その生活の場も垣間見ることができました。

奴隷の歴史を聞いて思ったこと

セネガルは、アフリカで初めて「奴隷制は人道に対する罪」であることを法律で宣言しました。悲惨な過去を記憶に留めておくことを義務付ける法律です。島には「奴隷制からの解放」像が建てられていました。

島の北端にある歴史博物館の中庭で、日陰に椅子を並べ配られたソフトドリンクを飲みながら、若者が時に歌を交えながら雄弁に奴隷の歴史などを語ってくれたのを聴いたのが、とっても印象的でした。

6年前にポーランドのアウシュビッツ強制収容所を見学した時に思ったのは、独裁者を許してしまったことで普通の善良なドイツ市民があのようなことをするに至ってしまった、独裁者が生まれないように我々一人一人が常に目を光らせておかないといけないということでした。

ここで300年以上も続いた奴隷制度の話を聞いて思ったのは、逆に、それほど長い間続いて社会の仕組みの中にすっかり組み込まれていたであろう制度を人間は止めさせることができたのだということです。そのことに一つの希望を感じました。

フリータイム

その後は、14時に帰りの船が出る30分前までフリータイムです。船着場の方に歩いて行くと・・・

民族楽器を抱えた男性が休んでいましたが、どんな音が出るのか聴いてみたかったです。

島の土産物店ものぞきましたが、特に買いたいものはなし。

フルーツもよく見かけるものばかりでした。

船とバスで戻り、岸壁に広げられていた臨時の土産物店の品々も見るだけショッピングを楽しみました。

忘れられない島

16時に出港してまもなく、訪れたばかりのゴレ島のそばをノルウェージャン・スカイ号は通過しました。

確かに「忘れられないゴレ島」になりました。

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