スピッツベルゲン寄港:最北の街歩き、ロシア炭鉱町の廃墟、氷河末端

この記事は約8分で読めます。

ハラハラしたロングイェールビーン入港

5時頃に目覚めると、船はもうスピッツベルゲン島の真ん中にある大きな入江に深く入り込んでいて、寄港するロングイェールビーン(写真の左奥方向)がある小さな入江に入るところでした。

前方にロングイェールビーンの街が見えてきました。周りの山には思ったほど雪が残っていないです。

北極圏にありツンドラ気候で永久凍土のため、木は一本も生えていない島です。地衣類・コケ類はありますが、地面に「緑」は見渡す限りありません。

世界最北の街であるロングイェールビーンは、ここに見えているのがほとんどです。人口100人未満の集落や定住地ならもっと北にもありますが、街と呼べるものではここが最北で、人口約2,400人です。

双眼鏡で眺めてもどこにもクルーズ船が着けられそうな岸壁がないなあと思っていたら、なんとこの小さな埠頭に全長300m以上もある船を接岸するようです。

ほとんど接岸という頃になってようやくもやい綱を受け渡すボートと綱取りの人がギリギリで現れました。それまで陸側に誰もいないのでハラハラしました。

朝早い世界最北の街歩き

朝食を済ませ、フリースとゴアテックスの上下レインウェアを着て、小雨の中を歩いて街に向かいました。気温は一桁台で歩いていれば寒くはないです。

街の中心部に入る手前で小さな川を渡りました。スピッツベルゲン(島の名前)と書かれた看板などは意外に見当たらず、スヴァルバード(スピッツベルゲンを含む諸島全体の名前)と書かれたものがほとんどでした。

街の中心部の住宅は色とりどりで、ここだけが風景の中で華やかです。

建物の近くの空き地には、夏の間は使わないスノーモービルが驚くほどたくさん駐車してありました。

街一番の繁華街です。と言っても、スーパーが1軒、土産物屋が数軒といった規模です。ほとんどが10時開店で、まだ8時半なので閑散としていました。

最果てのスーパーにはどんな物がどんな値段で並んでいるのか、とても興味があったのですが、開店前なので窓越しに写真を1枚撮っただけで我慢しました。

土産物屋でスピッツベルゲンと書かれた何か記念になるものを探したかったのですが、ショーウィンドウを眺めるだけでこれも我慢。

妻が、ハンブルクで書いてモルデで切手を買ったけど出し損ねていた絵葉書を、図らずも世界最北の郵便局で投函しました。

少し山手の方に「世界最北の教会」がありましたが、時間的に厳しかったので、遠くから眺めるだけにして、一度船に戻りました。

重装備で出航しパフィンを見る

今日は高速オープンボートに片道2時間乗ってピラミーデンというロシア人が暮らしていた炭鉱町の廃墟を訪れる現地ツアー(One-day tour to Pyramiden by open boat)に参加します。

気温一桁で時折雨も降る中を時速数十kmで疾走し、片道2時間ずっと座席に跨って座りっぱなし、両手で前のバーを握りっぱなしというかなり過酷なツアーです。

ブカブカの温かいソックスとドライスーツが貸与されるので、寒さの心配はそれほどなさそうですが、前から浴びる水飛沫や風雨を避けられて、写真を撮る時には前が見渡せるように、支度が早めに済んで一番に乗船した我が家は、前から2列目の席を選びました。

最後まで空いていた最前列の席には若い女性2人が座りましたが、同じボートに乗った8人の中で、我が家が一番シニアで、その女性2人が一番若かったので、まあ妥当な席順かと思います。

11時頃に出航してスピードに乗ると、前方の水鳥が慌ててボートを避けるように左右に飛び去っていくのですが、その中でぜひ見たいと思っていたパフィンをたくさん見ることができました。

途中から小型クルーズ船が遠くに見えてきて、どうも同じ方向を目指しているようで、段々と近づき、こちらの方が速いので追い越しました。

後で調べると、シーニック・エクスプレスという6つ星クラスの超豪華探検クルーズ船で、なんとヘリコプターや潜水艦まで積んでいるそうです。とても興味をそそられますが、クルーズ料金は桁違いです。

冒険心くすぐる大自然

1時間以上乗って、お尻も痛くなり、寒さも身体に染みてきた頃、ピラミーデンの手前にあるスカンスブクタの岩層へ寄り道しました。岸辺には、かつて鉱石の運搬に使われていた作業船の残骸があり、スピッツベルゲンを象徴するような景色です。

人を寄せ付けない荒々しい大自然だからこそ、冒険心あふれる人は寄ってくるもので、岸辺にいくつものテントが見えました。ガイド付きアドベンチャーツアーのベースキャンプとして使われているようです。

今もロシアなピラミーデンの町に入る

そこからもまた一乗りあって、ようやく炭鉱町ピラミーデンの施設や建物の廃墟が見えてきました。

ちゃんと小さな港と桟橋があり、別のツアーのボートが1隻、先に着いたばかりのようです。

なんとバスが迎えに来てくれて、町の東はずれにある港から、町に入ってすぐのところにある「ホテル」まで送ってくれました。

まずドライスーツを脱いで、ボート毎にテーブルについてランチです。

質素なロシア料理が一応コースで出てきたのをいただき、それなりに美味しく楽しめたし身体も温まりました。

炭鉱町の廃墟をめぐるウォーキングツアーのガイドは、ホッキョクグマ対策の銃を抱えていました。

説明は分かりやすい英語ですが、相手によってはロシア語も話しているようなので、元々ノルウェー人なのだろうか、ロシアからの移民だろうか、ノルウェーに帰化したのだろうかと疑問に思っていました。

そもそもピラミーデンがロシアの炭鉱町だったということは、スピッツベルゲンは元はロシア領で何らかの経緯でノルウェー領になったのかと思ったら、全く違っていました。

スピッツベルゲン島を含むスヴァールバル諸島は、元々どこの国の領地でもない時に、ロシアを含む国々が炭鉱開発などの経済活動を始めた後、1920年のスヴァールバル条約でノルウェーの主権が認めら、軍事利用は禁止され、他国の自由な居住や経済活動も認められたのです。ちょっと感動するような話で、地球上にそんな特別な場所があるなんて知りませんでした。

ツアー中に分かったのですが、ガイドさんは、ムルマンスク出身でピラミーデン在住のロシア人でした。このご時世にロシア人に関わることになるとはビックリで貴重な機会でした。

ピラミーデンは、昔も今もノルウェーの中にある実質的にはロシアだったのです。

平和な共存

ウォーキングツアーが始まり、最初に向かったのは、右手に見えている通称「マッドハウス」です。かつて、この建物では大勢の子どもたちが大騒ぎしていたのでそのように呼ばれたのですが、今でもここはとても騒々しいのです。

子供たちに代わって騒いでいるのはカモメたちで、どの窓にも巣が作られていました。

町が「ピラミーデン」と呼ばれるようになった理由は、背後にピラミッド型の山が見えるからだそうですが、あいにく今日は近くの山さえ雲に覆われていてピラミッドが見えません。

山肌には、ロシア語と英語で平和と書いてありました。ぜひそうあって欲しいものですし、西側とロシアが共存しているこの地は、その一つの象徴とも言えます。

ランチを食べた建物は、かつての「ホテル」ですが、現在宿泊できる建物はこちらです。何年か前にホッキョクグマがここに侵入したことがあったため、今は1階の窓には鉄格子がはめられています。

食堂とキッチン

次に、かつての食堂を見ました。大勢の炭鉱夫がここで一斉に食事をしていたのでしょう。

壁には食事中に眺めたかもしれない大きなモザイク画があります。

このカウンターで料理を受け取っていました。

その裏には、大量の食事を用意するための大型の調理器具が並んでいました。

今は広いキッチンも廃墟さながらになっています。

幼稚園と小学校

こちらは幼稚園の一室です。かつての子供達の作品がたくさんそのまま残してありました。

小学校の教室の壁の立派な絵は・・・

近づいて見てみると、小さなプラスチックの棒がびっしり並んだモザイク画で、気が遠くなるほどの作業の結果でした。

これがその材料で、何かの罰として絵作り作業をさせていたというガイドの説明だったと思うのですが不確かです。

プールと文化センター

次に、プール棟に向かいました。ロシアなのでレーニン像があります。

この大人用のプールに加えて、浅い子供用プールもありました。

最後に文化センター棟を見ました。2階に土産物店があったので、一部は今でも使われているようです。

体育館はこのまま使えそうに見えます。

シアターも現役のように見えます。

映写室はさすがに使われなくなって久しいようでした。

これだけの施設がそろって大勢が住んでいた町でしたが、今は観光業に関わる10名ほどが住んでいるだけのようです。

氷河の末端に接近

行きのボートで最後の方はかなり寒くなったので、帰りはダウンジャケットを1枚追加で着て、17次頃にピラミーデンを出航しました。

帰路では、ピラミーデンの東の方にあるノルデンシェルド氷河(Nordenskiöld)の末端が海に流れ込むところへ寄り道しました。

氷河の幅が広く、一番左側(北側)はこのようで・・・

そこから右へ目を転じると、延々と氷河末端の氷の崖が続く迫力の景色でした。


憧れのスピッツベルゲンを訪れて、過酷なツアーに参加したが故に達成感もあるし想い出に残る体験ができました。スピッツベルゲンならではの景観と政治的特殊性の両方からの刺激は、他では経験できないことでした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました