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安曇野最終日は、帰路に着く前に、「安曇野さんぽ」の「神仏の丘と渡し舟を訪ねて」コース(4.2km、1時間半)を歩きました。
懐かしの縦走路
熊倉公民館に車を駐めて河岸段丘(地図①)まで歩いて来ると、北アルプスの常念山脈が見渡せました。
高校1年の夏に初めて北アルプスに登った時に歩いた大滝山〜蝶ガ岳〜常念岳〜横通岳〜大天井岳の縦走路が、写真の左から右へくっきり見えています。
写真の中央やや左にある一際目立つ山が常念岳(標高2857m)で、当時、ここの登りはとてもきつくてバテてしまいました。
安曇野初の横堰
安曇野にたくさんある水路は、扇状地の上部から下部へ等高線を横切る方向に水を流す縦堰と、等高線とほぼ並行に水を流す横堰の2種類に分けられます。
安曇野初の横堰として掘削されたのが矢原堰で、写真は、そこに流す水を犀川から取水するための矢原堰水門(地図②)です。
矢原堰を地図で追いかけてみると、途中で万水川を横切りながら穂高神社の近くまで延々と続いていて、実におもしろいです。
標高545mの等高線に沿いながら、でも水を流すためにほんのわずかの傾斜を付けながら、今ほど精密な測量技術がなかった約370年も前に矢原堰が造られたのは、当時としてはすごい偉業でした。
神仏の丘
ずっと平坦な土地が広がっているこの辺りで、「丘」と呼ぶのはおこがましいくらい、ほんの少しだけ盛り上がっている所があります。
その「丘」に、ずらりと2列に並んだ石造百体観音が印象的な鶴尾山仏法寺(地図③)と・・・
春日神社(地図⑤)が、並んでありました。
春日神社には、次に訪れる「熊倉の渡し」で実際に使われていた舟が保存してあるそうなのですが、残念ながら見当たりませんでした。
犀川を渡る最適地
昭和20年代まで渡し舟があった熊倉の渡し跡(地図④)は、犀川が最も狭くなる地点にあります。
日本海の糸魚川と松本城下を結んだ千国街道(塩の道)が梓川や犀川を渡る場所の中で、川幅が狭く水深が安定していたこの熊倉の渡しが最適だったそうです。
水路や運河や水門が大好きなので、今回歩いたコースは、安曇野のユニークな地形とそれにまつわる歴史もからめて、とても楽しめました。