ミコノス島寄港:世界遺産のディロス遺跡、ミコノスタウン歩き

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思い出深いミコノス島に上陸

まだ暗い朝6時頃、ミコノス島の街明かりが見えてきました。

入港風景を眺めながら朝食を終えて、7時頃、島の向こう側から日が昇ってきました。

学生時代にミコノス島に来た時も、ピレウスからの夜行船がまだ暗い早朝に着いて、何も見えないまま上陸したことを思い出しました。

ヨーロッパを2ヶ月かけて貧乏旅行でまわった中で、ミコノス島は特に思い出深い場所です。レンタバイクで島中を走り回っている間にガス欠してしまい、バイクを何キロも押して歩いていたところ、親切な島の人が自分の車のタンクにホースを入れて口で吸い出してガソリンを分けてくれたのです。

ガソリン代を払おうとしても受け取ってもらえず、言葉が通じない中、身振り手振りで感謝の意を伝え、住所と名前を書いてもらいました。

帰国後、手書きのギリシャ語をそっくりそのまま宛名書きとして写し、お礼の絵葉書を送りました。しばらくすると、その娘さんから英語で書かれた手紙が来て、お母さんが絵葉書をとても喜んだとのこと。気持ちが通じて嬉しかったし、その後しばらく続いた文通も楽しいものでした。

そんな思い入れのあるミコノス島に、テンダーに乗って、45年ぶりに上陸しました。

世界遺産のディロス遺跡を見学

学生時代に来た時はミコノス島に2泊して島内のあちこちを見たので、今回はすぐ隣にある世界遺産のディロス島を個人観光するつもりでした。

ところが、元の予定では岸壁に接岸するはずだったのが、クルーズ開始後にミコノス島もテンダーでの上陸となることが分かり、この日は数隻のクルーズ船がミコノス島に寄港するので大混雑が見込まれる中、個人でディロス島に渡るのは時間的なリスクが高そうなので、ディロス島を観光する船の寄港地ツアーに参加することにしました。

ディロス島に渡る船は、海が強風で荒れていて白波だらけの中、かなり揺れましたが、欠航になるほどの天気ではなくて良かったです。

上陸して海を背にまず右手の方から、ガイドに連れられてディロス遺跡の見学が始まりました。

ここは「ディオニソスの家」と呼ばれる古代の富豪の邸宅で、モザイクの床がきれいに残っていました。

古代劇場です。古代ローマの劇場の遺跡はヨーロッパのあちこちにありますが、これは古代ギリシャの劇場です。違いの一つは、ローマのは半円ですが、ギリシャのはそれより広い210度の扇形になっています。

ここで折り返して、港の反対側の遺跡を見ながら、ディロス島のシンボルとも言えるライオン像まで来ました。

実はこのライオンたちはレプリカで、本物は、その近くの博物館の中に収蔵されていました。

個人観光で十分に時間があれば、広大な遺跡を順路に従って一通りとっとこ歩いて見て回ったと思いますが、寄港地ツアーだと要所要所でガイドが長い長い説明をするので、遺跡を全部歩く時間はなく、イーシスの神殿やキントス山などは見ないままでした。

ミコノス島に戻る帰りの船は、3m以上ある波を越えながら行き以上に大きく揺れましたが、それもおもしろかったです。

ミコノスタウンを海岸沿いに歩く

残りの時間はミコノスタウンを歩いて観光です。

最初にパラポルティアニ教会に行くと、不規則な形がなんともユーモラスです。

その先のリトル・ヴェニスと呼ばれる人気のエリアは、クルーズ船客でごった返していて歩くのも大変でした。

さらに海沿いに、波で足を濡らしそうな所を歩いて、6つの風車を目指しました。

今は回っていないのが残念ですが、ミコノス島を代表するような景色です。

さらに海沿いに小さなビーチを過ぎて歩いて行くと、海がとっても綺麗でした。

ミコノスタウンの迷路のような街中を歩く

海岸を離れて、迷路のようなミコノスタウンの街中へ向かいました。

最初に小さなエーゲ海洋博物館を見学しました。現役を引退した灯台の中を見れましたが、全体的にしょぼい展示でした。

その隣の「レナの家」も見学しました。19世紀の中流階級の家がそのまま博物館になっています。

坂道を登ってアノ・ミリの丘の風車まで来ると、素晴らしい景色でした。真っ白な家並みの向こうに、先ほど訪れた6つの風車がかわいく並んでいます。

右手の港の方を見ると、なんとクルーズ船が4隻も寄港しています。街中が大混雑しているわけです。

ちなみに、左からノルウェージャン・エピック(15.6万トン)、MSCリリカ(5.9万トン)、コスタ・ファシノサ(11.4万トン)、ボイジャー・オブ・ザ・シーズ(13.7万トン、唯一接岸)です。

ギリシャの味で一休み

また海辺に戻って、ビーチ沿いのテーブルに座って一休みしました。

学生時代にギリシャで食べて美味しかった印象のあるグリークサラダは、クルーズ中のレストランでも時々出てくるのを気に入って食べることがありますが、ここのはちょっとイマイチでした。

でも、一緒に注文したイカ焼きはとても美味しかったです。

15時半の最終テンダーより1時間ほど前には船に戻ろうとしたところ、テンダーには数百メートルの大行列ができていて、かなり並んで待ってから15:15に帰船しました。

ミコノス島を再訪して

45年も前のことなので、予想したことですが、見覚えのある街角の景色に出会うなんてことはありませんでした。

学生時代にミコノス島の港で見たペリカンは、今でもミコノス名物の一つのようですが、今回はなぜか1羽も見かけなかったのはちょっと残念でした。

今は、迷路のような街もスマホのGoogle Map片手に迷子になる心配なく歩けるし、いくら大混雑していてもクルーズ船で寄港しての観光なら全く宿の心配はしなくていいので、本当に楽チンな旅行です。

学生時代、ガス欠事件の後も、一難去ってまた一難、どの宿も満室で泊まるところがなく、ビーチで野宿を覚悟していたら、客引きのおじさんに声をかけられて快適なところに安く泊まれました。

地獄と天国を2往復するような1日でしたが、ハードな旅だったからこそ、45年経っても鮮明に覚えているような愛しい思い出になっていて、学生時代にそういう体験ができて良かったなあと、同じ地に立ちながら改めて思いました。

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